【前回の記事を読む】「若いのに夢をなくした人間に価値はない」と言われ…怒りと屈辱で目の前が真っ暗になり、衝動的に社長に裏拳を放った

1 南奥戸小学校

床に倒れた社長は鼻血を流しながら「なんてことしやがるんだ。てめえなんかクビにしてやる。区議会議員だっていっぱい知ってるからな」とまくし立てた。しでかした事の大変さに気づいて発作的に人生初めてとなる土下座をして謝り、大将のとりなしでようやく許されて帰宅した。

しばらくして角田から電話があり、不動産屋の若い衆たちが鼻血を出して戻ってきた社長を見て騒ぎ始め、お前の家に押し掛けると言っているらしいとのことだった。やむをえず自宅を出て夜の街をさまよった挙句、その日は秋葉原のビジネスホテルに泊まった。

翌日ホテルから出勤して夕方になってようやく帰宅すると、アパートの入り口の前に大量のごみが積み上げられていた。社長は俺も悪かったと話していたそうだが、社長想いの社員たちは何かしないと収まらなかったらしい。ごみぐらいで済んで助かった事件だった。

一方、バレーボールの練習は着々と成果を上げていた。当時は9人制バレーが主流だった。当初、垂直飛びで1mを超えるジャンプ力を見込まれてアタッカーに抜擢されたが、セッターのトスとのタイミングが合わなさ過ぎてすぐにクビになった。要するに体力任せのでくの坊だったのだ。

ところが、柔道で鍛えた受け身で広範囲のレシーブができることがわかりセンターポジションのお鉢が回ってきた。持ち前の無鉄砲さでダイビングレシーブを厭わないファイトを買われてのポジショニングだった。そして、とにかくボールを拾って拾いまくる毎日が繰り返された。

給食調理員の角田と小塚という二人の大砲を有する南奥戸小学校チームは快進撃を続け、とうとう葛飾区の小学校対抗戦の決勝戦まで駒を進めた。全員ほぼ満身創痍の状態だったが意気軒高、なんせ開校以来はじめての決勝戦なのだ。

その日は普段は無関心な校長教頭をはじめ全職員のほかPTAの役員や地元の顔役たちまで応援に駆け付けていた。決勝戦はやはり事務職員で高校のバレー部主将を務めた経験のある茂木選手を擁する水元小学校が相手だった。

茂木のスパイクは角田小塚の二枚ブロックを打ち抜く威力でセンターポジションを狙い撃ちしてきた。最初はスパイクのスピードについていけず、なすすべなく床に弾むボールを見送るしかなかった。初めてレシーブした時は腕が折れるかと思うほどの衝撃を受けた。