【前回の記事を読む】「そこで引き返しなさい」とおやじさんが言ってくれてたのに…無謀にも、鋸岳に向かった。4時間歩いても小屋が見当たらず…

第2章 旅立ち

2 山の思い出

10月21日(2日目、駒ヶ根高原)

写真4 鋸岳周辺の無人小屋で、1969年

3日目に、そんな呑気な2人の前に1人の山男が、のそっと現れた。夏山コースから外れた辺鄙なところにある無人小屋にも訪ねる変人が世の中にはいるものだ。彼と一期一会を無人小屋で一晩わけあった。彼とはそのあと1度も会ったことはない。いまだに、忘れることがない出会いである。

その甲斐駒ヶ岳が、キャンプ場の林の向こうにハッキリと見えた! さらにその右手に仙丈ヶ岳が威風堂々と構えている。

仙丈ヶ岳山頂には医学部の学生生活6年間の間に、夏山4回、春山1回、正月2回、合計7回登頂した。大学3年生の初登山以降、毎年夏には大平小屋を訪れて仙丈ヶ岳や甲斐駒ヶ岳登山を楽しんだ。

大学4年生の夏に大平小屋の主人に私らのような初心者でも、正月に大平小屋に来ることができるかと、非常識な質問をした。まさに命知らず、怖いもの知らずとはこのことである。

親父さんは、いとも簡単に可能だと即答した。南アルプスは北アルプスと異なり雪は比較的少ないことと、正月は多くの登山客が大平小屋や北澤小屋に来るので、大平小屋までは、よほどの大雪でない限りラッセルをしなくても来ることは可能だという返事だった。

それを真に受けた2人は嬉々として使用方法もわからないアイゼンとピッケルなど冬山登山の装備品を購入した。今、振り返れば完全無謀登山である。そして早速、その正月に大平小屋を訪れることにした。心のなかでは、正月元旦に仙丈ヶ岳登頂を夢見ていた。これこそ夢想、とんでもない話である。

1969年末、2人は冬の南アルプス大平小屋に向かった。正月を山で迎える本当の山男や山女のおかげで、戸台川沿いの登山道は雪が踏み固められていた。ラッセルの必要もなく、背負う荷物の重さを別にすると、ほぼ夏山と同じような感覚で登ることができた。無事大平小屋に到着し、親父さんと奥様に歓迎された。

冬山は初めての経験である。そこには夏山とは別世界の山男や山女が存在していた。社会から一歩引いた雰囲気や異なる人生時計をひしひしと感じることができた。そこは競争社会や人間社会に垣間見る余裕のなさや、冷たさなどとは縁のない心豊かで穏やかな人間像で満ち溢れていた。

大平小屋の炉端の火の温もりとパチパチという音や匂いに包まれて自分が存在しているようでもあり、存在していないようでもあった。親父さんの醸し出す雰囲気に包み込まれているようで、そうでもない曖昧模糊な感覚に浸った。カイロス時間だけが、ゆっくりと流れていた。そのなかで自分はいつしか眠りについた。

親父さんの話だと、天候さえ恵まれれば私たち2人が仙丈ヶ岳の頂上に立つことは決して不可能ではないとのこと。暗いうちに小屋を出て、午前中に小屋に戻れば雪崩などの危険性はほぼゼロであるらしい。

大平小屋に滞在中の連中は、みなそれぞれの思いで元旦に仙丈ヶ岳登頂を目指している。では、私たちも登ってみようか?という気持ちが心の隅でムクムクと湧き上がる。

親父さんに頼んで、アイゼンやピッケルの最低限の使用方法を教わった。しかし、わずか3日間しか時間はない。今、思えば、よく無事で大平小屋に帰還したことか! 気温は零下20度である。一歩間違えば、一直線に谷底目指して氷上滑り台である。