勿論(もちろん)、仲間たちの告白に聞き入りもした。仲間たちが言ってくれるから私も言えたのだ。告白すれば、心が洗われていくような気(き)がした。不思議なことに、私はそれによって飲まない生活が続き、危(あや)ういながらも回復していった。
三ケ月で体からアルコールが抜け、半年で脳からアルコールが抜(ぬ)け、その変わり目が苦しいが、一年耐(た)えれば、頭の中の靄(もや)が晴れると言われ、その一年を待ち続けた。施設でのそんな日々の流れは、とても緩慢(かんまん)で一年先が果てしなく遠くに思われた。
それでも一日一日を耐(た)え凌(しの)いで、過ぎ越していくうちに、九ケ月を過(す)ぎる頃から、日々の流れが急に早くなった。私は施設の生活に順応して、回復のペースに乗(の)ったのだ。
そして、二年目、三年目と、私は施設の生活に没頭(ぼっとう)した。過酷なまでに激しい矯正(きょうせい)生活だった。私はそれが自己を失うことであることは分(わ)かっていたが、中毒から回復するためには、それが必要なことも認めていた。勿論(もちろん)、私の脳の障害はそんな生活の中でゆっくりとしか回復(かいふく)しなかった。
それに飲酒と放浪で傷(いた)んだ体は、心臓、肝臓、腎臓と、様々(さまざま)の疾患を併発していた。ことに酒を止(や)めるとアレルギー反応が三倍になるとされ、一年目に引(ひ)いた風邪(かぜ)が喘息(ぜんそく)となり、肺気腫(はいきしゅ)とも合併して、その症状は三年を過ぎても取れなかった。
年中咳(せ)き込んでいたのだ。医者は怪訝(けげん)な顔をして、肋膜炎(ろくまくえん)でもしたのか、と首をかしげて肺がひどく傷(いた)んでいると言った。それにその頃はまだ、雲の上を歩いているような足取りの覚束(おぼつか)なさが残っていて、いつになったら治(なお)るのか、ともすれば希望を失(うしな)いそうになった。
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