日向伊東氏は、本貫(ほんがん)を伊豆国(いずのくに)田方郡伊東荘(静岡県伊東市)とし、その本貫地を姓としたものである。

祖は藤原南家流工藤氏出身の伊東祐継(すけつぐ)の子、工藤祐経(すけつね)で、源頼朝の側近として重用された鎌倉御家人(ごけにん)である。

当時御家人は所領がどこかを問わず鎌倉に居を構えていたが、文永、弘安の蒙古襲来(一二七四、一二八一)の折、九州に所領を持つ御家人が警固役として下向し、それを機に所領地への土着が始まることとなった。

日向に所領を持つ伊東氏を始め、豊後国大友氏、薩摩国(さつまのくに)島津氏などもその時期に下向している。

日向伊東氏は、その本家に先立って庶子家が日向国の山東地域(鰐塚(わにつか)山から東の平野部、現在の宮崎平野)に下向し、その土着地の地名を姓とした。

本家二代祐時(すけとき)の四男祐明(すけあきら)が田島氏、七男祐景(すけかげ)が門川(かどがわ)氏、九男祐頼(すけより)が木脇氏と名乗ったのがそれであり、本家から独立して現地の支配を進めていった。

南北朝期、建武二年(一三三五)三月、本家六代祐持(すけもち)に足利尊氏(あしかがたかうじ)より都於郡(とのこおり)院が宛(あて)がわれ、その子祐重(すけしげ)が貞和(じょうわ)四年/正平(しょうへい)三年(一三四八)に、都於郡城(とのこおりじょう)(宮崎県西都(さいと)市)への入城を果たす。

これにより漸(ようや)く惣領家(そうりょうけ)の日向土着が始まった。