父は此の様に費用が多くなってはというような事を煩(うるさ)そうに言っていた。時には赫(かっ)と怒って其の辺の器物を手当り次第に抛(ほう)り付(つけ)ることもあった。

そんな時はいつでも私は祖父様に呼ばれて離室で論語の復習をさせられた。其の間祖父様は黙って腕を組んだまま、俯向(うつむ)いて何か考え込んでいられた。

母家では父の怒鳴る声が杜切(とぎれ)々々に聞こえた。祖父様の眼には涙が浮かんでいた。私は不審の個所は微声で誤魔化して規定の三枚を読了(よみおえ)ると、蝕(むしばみ)の入った本を丁寧に本箱に蔵(しま)ってぶらりと裹木戸を出た。

そこから村の墓場までは三丁にも足りない。墓場には不揃いな石碑が七、八十ほど狭い草原に並んでいる。私の家の石碑は別に離れて藪蔭の一隅に南無阿彌陀佛の六字を刻んで立っている。

私は其の前にくるといつでも見知らぬ母や姉達の顔を想像して見た。そして若しか大きな声で「お母さん」と呼んだら、何処からか出て来られはしないかとも思った。

お母さん達は何故私ばかりを置いて行ったのかと思うと、私はもう泣かずにはいられなかった。墓場の藪には春になると紅い椿が沢山に咲いた。

夏には墓石の間間(あいだあいだ)に淋しい月見草が咲き、秋になると深紅な曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が六地蔵の後ろあたりに夥(おびただ)しく咲いた。

村の子供達へは死人花だと言って誰も取らなかった。が私はいつでも摘みに来た。小さい脇に余る程抱いて帰ることがあった。墓場はいつでも私に一種の親しみを持っていた。

此の墓場には私を育て私を諌(いさ)めてくれた祖父様の骨も埋められた。それはもう十年前の昔である。そして私は今厄年の二十五だ。数奇な運命! 冷たい家から追われて行く今の私は此の墓場より外に訣別の詞(ことば)を残す処もなかった。墓前に立って私は坐(そぞろ)に痩せた旅人の身を振り返った。

「お母さん、祖父様」

百舌鳥(もず)も啼かぬ静かな夕である。藪蔭はもう暮れの色に裏まれている。湿った墓土の香は無限の懐しみを以て私の五体中に浸(しみ)込んだ。

私はもう何物をも考えるに堪えなかった。そして突如狂気の様に其処(そこ)の墓土を両手に掬(すく)っては袂(たもと)に投入れた。冷たい夕風が吹く。其れは十年十五年前の昔も同じ寂しさを以て私の心を吹いた風である。

私は土に湿って冷やりとする袂を緊(ひし)と抱いて、いつまでもいつまでも泣いていた。―(終)―

 

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