【前回の記事を読む】嫁ぐ前に泣き別れた初恋の男…村中の娘たちを熱狂させた面影は消え、泥まみれの姿を見た私は、思わず嘲笑ってしまい……

短篇

墓の土

私は此の春以来毎日毎夜、死んだ祖父様の事を憶(おも)わぬ日とてはない。数代の間貧窮と衰残とに見る影もなく零落していた私の一家を今日までに興してくれたのは祖父様である。

恥ずかしながら其の日の米にも乏しくて、小一里隔(へだ)たった町まで夜更けてから一升買いに出られたのは祖父様である。

父は其の頃祖父様がか弱い力で作った学資で、長崎の某儒の学塾へ入れて貰っていた。家には老親がこうまで苦しんでいることも知らずに、長崎では毎日碁ばかり打っていたそうである。

五年経て帰った時に父が獲(え)て来たものは、下手な漢詩を作ることを覚えてきたのと、村の老漢法医に対して白石を握って碁が打たれるということ位であった。

祖父様は長い間の自分の苦労を顧みて、我が子の帰郷を祝うべき日にも密(そっ)と人知れず涙を拭いていられたそうな。

間もなく父が妻を迎える、三年の間に女児が二人生まれる、続いていて私が生れるし苦しい中にも一家は悦(よろこ)びの声を挙げた。が其れも一年と経たぬ間に私の母と二人の姉とは、当時近在に流行した時疫というものの為に枕を並べて死んだ。

私は生みの母親の顔をも覚えぬ中に孤児となって終(しま)った。山奥の村から乳母が来てくれたそうであるが、二個月もせぬ間に同じ病に襲われて命を奪(と)られた。

その後は時疫で死んだ家は何かの崇りだという無智な村人の迷信から、誰も私の乳母に来てくれる者がなかった。

祖父様は乳に飢えてひーひー泣き叫ぶ孫の私を抱いて、自分も幾晩泣き明かされたか知れぬ程であった。流石に父も当時は涙の日を送っていたそうであるが、何時(いつ)となく其れも乾いて、私の家には父の上にのみ春が来た。古い門の扉は新しい材木の香を吐く。

屋根は黄色い藁に葺き替えられる。車井戸には髭の立った釣瓶(つるべ)縄が懸けられる。軈(やが)て清めの砂が門前に敷かれた頃には、私もまた年の若い母親の子と呼ばれるようになった。

父と継母とは二十歳も年が差(ちが)っていた。私は子と呼ばれるだけで昼は大抵祖父様の膝に抱かれ、夜はいつでも乳母の乳に取り縋って寝た。この二度目にきた乳母は同じ村の彌吉(やきち)という水車小屋番の女房でよく肥え太った女であった。

可哀相(かわいそう)に私が三歳の時に暇を取って帰ってから眼病を患った。亭主の彌吉は女房の病気を労ってやる程の甲斐性もなかった。乳母は遂々(とうとう)偏目になった。

そして私が六歳の時ある秋の夜更けに、庭の堀井戸に身を投げて死んだ。彌吉は誤って落っこちたんだと言い訳して歩いていた。

私は乳母の変死を聞いた時に、裏木戸の柿の樹に倚(もた)れて人に見られぬように泣いたことを覚えている。一人でこっそり乳母の墓参をして継母から叱られたことも覚えている。

其の頃継母にはもう二人の子供が生まれていた。上が男で次が女であった。其の時分から父と母とは決して仲が善くはなかった。

母親はいつでも自分の子供を本位にして私の身を睨(にら)んでいた。そして私には分からぬ様なことを父に対(むか)ってちくりちくりと針で突く様に言い付けた。