【前回の記事を読む】新しい傷だろうか、樹液が流れ出ていた…琵琶湖で見つけた、松の“斜めの傷跡”。戦時中、日本が松脂で作ろうとしたのは……
9〜12日目
老舗の鮒ずしと周航の歌誕生
歩き旅9 3月4日(土) 9日目
北小松―近江高島
やっと白髭神社の鳥居が見えてきた。湖中に立っているので遠くからも見やすい。一つの目標が見えるとホッとするのはこの旅を通してのならわしになってきた。
白髭神社の手前にはそば屋や食堂があるのが分かっていたので今日の昼食は楽ちんだった。十割そば白髭の看板の店に入ってざるそばとサバ寿司を食べたがおいしく大満足だった。店は丁度観光スポットの前にある事もあり客で賑わっていた。
今日初めていつもは車で通り過ぎる白髭神社に立ち寄った。思ったよりはるかに立派な神社で社殿や何もかもが想像を超えていた。神主さんも忙しそうに立ち回り参拝客も多かった。私はオミクジを引いたが中吉だった。看板には近江で一番古い神社と書いてあった。
神社を過ぎた辺りで“旧道”の案内があったのでその道をたどった。旧道というのは、昔この辺りの琵琶湖は急峻な崖で道路が作れず山側に迂回していたのだ。
古い道には決まって石垣が残っていて、昔の人の歩くさまを想わせる。途中に古い石仏の群れがある墓地を通った。
そこには、多くの太平洋戦争の兵隊さんたちの墓もあった。このあたりからも多くの人たちが出征したのだったろう。
子供の頃私の母が近くの家をしばしば訪問しているのを知っていた。なぜだかよく分からなかったのだが今は分かる。
家から少し離れたところに我が家の墓地がある。墓参りに行くたびに兵隊さんの細高い墓石の前を通る。
二つ並んで立っていて何れも太平洋戦争でルソン島で亡くなったと記されている。それは兄弟の墓で私の母がしばしば訪れていた家の息子たちだったのだ。
旧道を抜けたあたりには万葉の歌碑があった。奈良時代からの道であったのが分かる。やがて道はひらけて大溝城の跡地あたりに出る。
乙女ケ池という大きな池があって池の中をジグザグと進むように大変立派な木造の橋が架かっている。
税金は豊かに使われているようだ。大溝城は信長の息子たちが城主を務めた湖西の要衝であった。
そして目的の高島駅には到着したのだが私は先を急いだ。その先には有名な鮒寿司屋さんがある。
この旅を始めてから私は要所でいい店があったら親しい友人たちに便りと共に品物を送りたいと思っていた。
丁度この鮒寿司屋さんはぴったりそれに当たる。四百年続いたと云うその店は百匁(もんめ)百貫千日つまり“百匁の鮒ずしに百貫の重しを乗せ千日間漬ける”がうたい文句であった。
今日は初めて高島市に入り一つの念願もはたせたようで満足して帰りの電車に乗った。