昭和三十年の春、栃木県塩原の児童養護施設「希望の家」から中学に通った寺坂謙志郎は、担任教師をはじめ、全教師の目を見張らせる素晴らしい成績を納めながらも、進学を断念しなければならなかった。

謙志郎はほとんどの教師から同情され、進学できなかったことを惜しまれながら卒業した。その後、彼は東京下町の「すて寿司」に住み込みで就職した。

謙志郎の他にも三人の先輩格の住み込み人がいた。施設長の早川寅夫が身元保証人を引き受けてくれたし、店主の江頭氏も快く了承してくれた。謙志郎はそんな人たちに報いようと、他の者より一時間ほど早起きし、外回りの掃き掃除などを行った。

だが、そんな彼の行動は、先輩格の人々には面白くなかった。彼等はことあるごとに謙志郎に難癖をつけたが、彼は意に介さなかった。盆暮れが来ようが彼には帰るところはないし、特に遊びたいとも思わなかった。

そんな地味な性格も虐めの材料になったのだろう。時々謙志郎の金が盗まれてはいたが、あえて騒ぎ立てることもしなかった。日がたつにつれ、金はできるだけ郵便局に預けることにし、通帳は肌身離さず持っていることにした。

謙志郎が二度目の正月を迎えようとした月に事件は起きた。先輩職人の給料袋がそっくりなくなった。何も知らない謙志郎が散髪から帰ってくると、

「おい寺坂。飯野さんの給料袋がなくなった。持ち物を見せてもらっているのだが、お前の荷物見ていいか」

浜根という職人が言った。

「どうぞ。僕がいなくても見てくれてよかったのに」

「そうか、では」

浜根が謙志郎のリュックを開けた瞬間、

「おい。貴様」

浜根のビンタが謙志郎に飛んだ。

 

▶この話の続きを読む
殴る、蹴る、さらにタバコの火を押し付ける者も…。給料泥棒の罪をなすりつけられた彼の生活は地獄だった

▶この話を最初から読む
父と母はいとこ同士だった。そして生まれた私には、両眼の眼球がなかった。そんな私のことを、親族や両親は…

▶同じ作者の人気小説を読む
【実話】生まれてきた子は"両目が無かった"――現代より理不尽な扱いを受けやすい昭和時代、全盲の少女はどう生き抜いてきたのか

 

ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp