【前回の記事を読む】「ぶーんっていう音がする。気味が悪くて」少女が頭を抱え込んだ。いつもの耳鳴りだと思っていたが、何かが異なり…

episode1 異変

「あれ、おかしいなあ」

ビデオカメラのファインダーをのぞきながら、坂田はつぶやいた。ついさっきまで、灯台の明かりと漁火がファンタジーのように見えていたのに、その映像を遮って、黒い霧のようなものが写っている。試しにタオルでファインダーを拭ってみても、霧は消えない。それどころか、画面全体に広がってきていた。

そのときだった。「ぶーん」という音がしたかと思うと、それは突然、耳の穴に飛び込んできた。「ぎゃっ」。坂田は身もだえしながら手で払おうとしたが、次の瞬間、頬に痛痒を感じた。知っている感触。思い出したくない感触。蚊だ。チクン、と感じてからでは、もう遅い。刺される感触は首、まぶた、手首、足首へと同時テロ的に広がっていく。

「こいつ、こいつ、こんちくしょう」

タオルで追い払おうとしたが、きりがない。ついに、それが顔面を覆うのが分かった。坂田は理解した。黒い霧は、蚊の集合体だったのだ。自分は今、無数の蚊に襲われている!

暗闇の中で、自分の腕すら見えないが、真っ黒い小さな蚊どもが全身にへばりつき、自分の血をすするのだと認識した時、理性は吹っ飛んだ。

「うぎゃー。何だお前ら」

しかし、声を出すために口を開けると、蚊はその中まで飛び込んでくる。これはもう、走って逃げるしかない。

「俺の俊足で振り切ってやる」

頭の中で叫びながらダッシュしたが、暗闇で足元も見えない人間と、空中を自由に飛べる連中とでは、勝負にならなかった。

「んえー、ぺっぺっ」

坂田はタオルを振り回し、両手で体中を叩き、最後は地面を転び回って蚊を振り払いながらテントの明かりを目指した。