【前回記事を読む】今川軍との戦力差は歴然だった。――それでも織田軍はなぜ桶狭間で勝てたのか?
第一部 桶狭間の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い
一 桶狭間の戦い ~「正面攻撃説」から「迂回奇襲説」へ回帰する~
今後の研究の一助になれば……
私は名古屋市緑区桶狭間の古戦場公園と豊明市栄町南館の国指定伝説地にも足を運んで、特に名古屋市の地元が作成している「信長攻路」の地図について批評させていただいた。
やはり残念なのは、『信長公記』には「東へ向てかゝり給ふ」とあるのに「信長攻路」の信長の進攻路は北から南に攻めかかった図になってしまっていて、整合していないことである。
地元の伝承を無下に切り捨てる訳にはいかない事情は理解するが、それならば、「地元の伝承に基づけば北から南へ、『信長公記』の記述に基づけば西から東へ」というように、いくつかの進攻路を統合せず並列したままの説明のほうがよいのではないか。
何が何でも地元の伝承と『信長公記』の内容の統合を図って一本の進攻路にまとめようとしたところで説得力がない。
豊明市の方は名古屋市の方と比較して影が薄く、覇気がないような気がする。名古屋市の方に気圧されて論負けしているといった様相である。国指定伝説地や資料室に置かれたパンフレットを見ても、旧い迂回奇襲路を紹介していたりパッとしない。
豊明市の方がもっとしっかり古戦場案内に取り組んでいたならば、名古屋市の方もこれほど説得力のない「信長攻路」では済んでいなかったのではないだろうかと残念に思う。
どうしたところで桶狭間の戦いの主戦場となったのは名古屋市緑区桶狭間か豊明市栄町南館のどちらかである可能性が高いのだから、それを励みにしてもっと地元には頑張って盛り上げていってもらいたいと思う。
NHKにはメールで不躾な質問をしたのに対して回答をいただいたので感謝している。ただ指摘したとおり、『信長公記』の沓掛から鳴海に向かう義元と『三河物語』の池鯉鮒から大高に向かう義元を安易にゴチャ混ぜして、「ハイブリッド義元」よろしく沓掛から大高に向かう義元を創作したところで何人をも説得するには至らないということを理解していただきたい。
NHKが桶狭間の戦いについて勉強すべきは、「正面攻撃説」か「迂回奇襲説」かより以前に、義元が大高或いは鳴海のどちらに向かったのかをきちんと説明できるようにすることであるように思う。
今後もし再び戦国時代の大河ドラマで桶狭間の戦いを描くときがあったなら、誰をも説得させる素晴らしい作品になるよう……ひとりの大河ドラマファンとして期待している。