それでも私に迷いはなかった。
「わかりました。サウジアラビアに行きます」
中東行きの決意は固まった。
私は故郷の山梨に帰り、家族や近所の人達に事情を話し、別れを告げた。
当時のサウジアラビアには油田はあっても、原油を精製する石油精製プラントはなかった。そのため油田からくみ上げた原油を他の国に運んで精製していた。
しかしこれからは国内で精製できるようにしようという国家プロジェクトが始まった。一九五五年に正式にサウジアラビアと外交関係が樹立した日本は、アメリカの会社からの依頼でこのプロジェクトに協力することになった。石油精製プラント建設現場でも完成したプラント自体でも非常に多くの機械が使われる。
その機械のメンテナンスが私達の仕事だった。
ちょうどこの頃私は、工場で働く人達を集めてキャンプファイヤーを企画していた。サウジアラビアへの出発の日が近づいていたので、キャンプファイヤーは実質私の送別会になった。自分の送別会を自分で開くことになってしまったのだが、取引先の人達も料理と酒を持って集まり、盛大な壮行会になった。
キャンプファイヤーで歌ったのは、その名も「修理屋さんの歌」。当時流行っていた「山男の歌」の替え歌で、作詞は私だ。しおりに印刷してみんなに配ったが、整備に関わる者なら誰もが共感する歌詞が大変好評だった。
四番は、まさにこの時の私だった。工場で鍛えた腕を、海外出張でもっと伸ばすのだ。そして日本の修理屋さんの力をサウジアラビアで見せてやる。
火を囲んで仲間達と歌っているうちに、サウジアラビアでの仕事が楽しみになってきた。
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