鈴木 忠彦
昭和17年8月27日 山梨県で生まれる。
昭和33年3月 武川中学卒業
昭和33年4月 中学校卒業後、横浜の酒屋へ奉公に。
父の助言で、砂防ダム工事現場で働く。
昭和33年4月 日本製紙工場入社。
昭和34年 機械との初めての出会い(台風被害を受けた機械とともに上京)。
昭和35年3月 王子高校定時制中退。
昭和37年5月 日立製作所 亀有工場入社。二交代制で体をこわし退職。
昭和38年4月 平山運送株式会社 整備部門入社。3級ガソリン自動車エンジン整備士取得
昭和40年6月 川崎重機株式会社入社。2級ガソリン自動車エンジン整備士取得
昭和40年9月 千代田化工建設株式会社からの依頼でサウジアラビア・ジッタの石油プラント建設機械類のメンテナンスの為に派遣される。
昭和42年12月 サウジアラビア・ジッタから帰国。
昭和43年5月 千代田化工建設株式会社より再び依頼を受けイラン・カーグ島に。千代田化工建設株式会社、三菱商事、三菱重工と共にプロジェクトに参加。カーグ島では建設機械のメンテナンスに携わる。
昭和45年6月 イラン・カーグ島から帰国。
昭和47年10月 東京都稲城市 東京建設工業株式会社 東建リフトゲート株式会社入社。
昭和48年12月 東建リフトゲート株式会社 リフトゲート部門を引き継ぐ。
昭和52年7月 東建リフトゲート株式会社より日本リフト株式会社に社名変更する。代表取締役就任。
令和7年3月 日本リフト株式会社代表取締役会長に就任。
昭和33年3月 武川中学卒業
昭和33年4月 中学校卒業後、横浜の酒屋へ奉公に。
父の助言で、砂防ダム工事現場で働く。
昭和33年4月 日本製紙工場入社。
昭和34年 機械との初めての出会い(台風被害を受けた機械とともに上京)。
昭和35年3月 王子高校定時制中退。
昭和37年5月 日立製作所 亀有工場入社。二交代制で体をこわし退職。
昭和38年4月 平山運送株式会社 整備部門入社。3級ガソリン自動車エンジン整備士取得
昭和40年6月 川崎重機株式会社入社。2級ガソリン自動車エンジン整備士取得
昭和40年9月 千代田化工建設株式会社からの依頼でサウジアラビア・ジッタの石油プラント建設機械類のメンテナンスの為に派遣される。
昭和42年12月 サウジアラビア・ジッタから帰国。
昭和43年5月 千代田化工建設株式会社より再び依頼を受けイラン・カーグ島に。千代田化工建設株式会社、三菱商事、三菱重工と共にプロジェクトに参加。カーグ島では建設機械のメンテナンスに携わる。
昭和45年6月 イラン・カーグ島から帰国。
昭和47年10月 東京都稲城市 東京建設工業株式会社 東建リフトゲート株式会社入社。
昭和48年12月 東建リフトゲート株式会社 リフトゲート部門を引き継ぐ。
昭和52年7月 東建リフトゲート株式会社より日本リフト株式会社に社名変更する。代表取締役就任。
令和7年3月 日本リフト株式会社代表取締役会長に就任。