【前回の記事を読む】いじめで学校に行けなくなった娘より、玄関前の自転車を気にする母…それが“不登校の証拠”となり、周囲の住人にバレるからで……

2.幼さを入院させて

不登校の期間、私が唯一心を落ち着けられた場所があった。

近所の小さな図書館だ。

市営の、古びた建物。蔵書は多くない。新刊もない。でもそこは静かだった。不必要に声をかけてくる人間がいない。笑い声が聞こえない。誰かの視線が刺さらない。その無関心さが心地よかった。

登校できない朝、私は制服のまま家を出た。あの人に学校に行くと思わせるために。制服を着て、鞄を持って、玄関を出る。そのまま学校とは反対方向へ歩いて、図書館に入る。

開館と同時に入って、閉館まで出なかった。

最初に気づいたのは、カウンターにいる司書の老婦人だった。白髪を綺麗に結い上げた、背の低い、静かな人。私が毎朝制服で来ることに、何かを察していたはずだ。でも1度も聞かなかった。「学校は?」とも「大丈夫?」とも言わなかった。

ただ、お茶を出してくれた。

老婦人も図書館の人間だから、図書館では飲食が禁止など重々承知だろう。

だが、それでも緑茶を提供したくなるほどに私はやつれていたのかもしれない。その緑茶は慈悲だったのかもしれない。

ただ確かだったのは、温かい緑茶を毎回、何も言わずに私の読書スペースに置いていった。それだけだ。

その人の顔を、私は今でも思い出すことがある。

名前も知らない。どんな人生を歩んできたのかも知らない。でも、あの温かいお茶のことを考えると、今でも胸の奥が少し緩む。これを誰かに話したことは1度もない。話したくないというより、話すことで何かが壊れる気がして。

あの図書館の静けさと、湯気の立つ緑茶と、何も聞かずにただそこにいてくれた老婦人は、私だけのものにしておきたかった。きれいな思い出としてじっとしてほしかった。

本を読んだ。手当たり次第に読んだ。物語でも、歴史でも、図鑑でも、何でも良かった。活字を追っている間だけ、現実から切り離された。

本の中の世界は、私の現実と違って、因果が機能していた。頑張った人間が報われる可能性がある。理不尽が理不尽として描かれる。登場人物の痛みは、ちゃんと痛みとして扱われる。

現実とは大違いだ。

3ヶ月が経った頃、あの人が折れた。

「公立に転校しなさい」

予想外だった。

あれほど「O中学に入れた」ことを誇りにしていたあの人が。でも考えれば単純な話だった。

不登校のまま私立中学に在籍し続けることの方が、周囲への見栄えが悪かった。公立への転校は敗北だが、不登校という状態の方がより大きな敗北だった。あの人はより小さな恥を選んだだけだ。ギャンブラーの誤謬に惑わされない経営者としては100点。子を思いやる親としては0点。

もちろん、それだけでは終わらなかった。