【前回の記事を読む】小学校・中学校でいじめられて気づいた、“いじめられる人”の法則。理由なんて単純だった。私は標的から外れる為に、逆の立場になった。

2.幼さを入院させて

単純な話だ。驚くほど単純な結論だった。いじめる側になれば、いじめられない。群れる側になれば、弾かれない。標的を持つ側になれば、標的にならない。コペルニクス的転回。

この思考が間違っていることは、分かっていた。論理として歪んでいることも、倫理として終わっていることも、分かっていた。でもその時の私には、正しい思考を選ぶ余力がなかった。3ヶ月間図書館に逃げ込んで、布団の中で天井を見続けて、あの人に教育費を連呼されて、私の中の何かは完全に形を変えていた。

生き延びるために、人は変わる。

綺麗な変化ではなかった。生存本能だ。自分でも分かっていた。でも生き延びることと美しくあることを同時に求めるほど、私はまだ余裕がなかった。

公立のS中学の制服が届いた。

鏡の前で着てみた。新しい制服は少し硬くて、肩のラインが馴染んでいない。でも顔は同じだ。本山千晴の顔は変わっていない。変わったのは内側だけだ。

内側だけが、静かに、取り返しのつかない方向へ変わっていた。

窓から外を見ると、玄関前の自転車が見えた。あの人が嫌っていた自転車。不登校の証拠として目の敵にしていた自転車。私はしばらくそれを見つめてから、カーテンを閉めた。

図書館の老婦人のことを思った。名前も知らない。もう会えないかもしれない。あの温かいお茶を、もう飲むことはないかもしれない。

胸の奥が、少し痛んだ。

それが、まだ私の中に残っていた、最後の柔らかい部分だったと思う。

転校初日の朝、私は鏡の中の自分に言い聞かせた。

今度は違う。

今度は弾かれる側にならない。笑われる側にならない。孤立する側にならない。そのためなら何でもする。どんな自分にでもなる。本山優子が仮面を使い分けたように、私も使い分ける。

ただし私の仮面は、あの人と違って、誰も傷つけるためではなく、生き延びるために使う。

その信念が最初から欺瞞だったことに気づくのは、もう少し後のことだ。

バスに乗った。新しい学校へ向かった。窓の外の景色が流れていく。住宅街、コンビニ、信号、公園。何も特別ではない普通の朝の景色が、この日だけは少し違って見えた。

私は新しい場所に向かっている。

また傷つくかもしれない。また失敗するかもしれない。でも今度は違う戦略で臨む。弱い私のまま突っ込んでいくのはもうやめる。

本山優子の娘として生まれたことは変えられない。でも本山優子の娘のまま死ぬつもりはない。

バスが停留所に着いた。

扉が開いた。

私は立ち上がった。