【前回の記事を読む】「あの子の家、変らしい」…努力して受かった中学で、私はいじめの対象だった。原因は母の“異常な行動”で……

2.幼さを入院させて

いじめは続いていた。というより、深化していた。中学のいじめは小学校のそれと質が違う。小学生の残酷さは単純だ。無視する、群れから弾く、それだけだ。単純明快。

中学生の残酷さには知性が伴う。どこを攻撃すれば1番効くかを、本能的に知っている。徹底的に弱点を苛め抜き、それを上位存在には見つからないようにする賢さを持ち合わせている。反吐が出る。

最初は小さなことだった。

体育の授業でペアを組む場面、私の周囲だけ誰も目を合わせない。最後まで余って、先生に「本山さん、あそこに入って」と名指しされる。その瞬間の空気の重さを、君は知っているか。先生に救われたのに、救われた事実が逆に刺さるあの感覚を。

廊下ですれ違う時の笑い声は続いていた。でもそれだけじゃなくなっていた。

ある日、下駄箱を開けたら上履きに墨汁がかかっていた。誰もやっていないし、誰も見ていない。でも全員が知っている。そういう空気だった。なんなんだ、本当に。

担任に報告した。担任は「心当たりはありますか?」と聞いた。馬鹿か?

被害者に心当たりを聞く担任というのは、一定数存在する。私はその日から担任に対しても期待するのをやめた。

グループラインというものがある。中学1年生がこぞって参加する、クラスの連絡用チャット。私は最初から招待されなかった。だから連絡事項を知らない。明日の持ち物を知らない。遠足の集合時間を知らない。

「知らなかったの? ラインで言ったじゃん」

そう言われるたびに、私は「ごめん、見てなかった」と答えた。見ていなかったのではなく、存在していなかったのだが、その訂正をする気力はもうなかった。

ノートを忘れたふりをして隣の子に「見せて」と声をかけたことがある。「え、やだ」と即答された。笑顔だった。その笑顔が一番きつかった。悪意がない。熱いヤカンを触ったらすぐに手を離すかのように、脊髄反射で私への拒絶が出てくる。苦しい。

それほどまでに、私は関わりたくない存在として定着していたのだ。

昼休みは図書室にいた。本を読むふりをしながら、ただそこにいた。本を読んでいれば、1人でいることに理由が生まれる。好きで1人でいるのだ、という体裁が整う。

孤独に言い訳を与えることで、プライドだけは死守した。それが当時の私にできる唯一の自衛だった。

成績は下がり続けた。授業についていけない。いじめで消耗している。家に帰ればあの人がいる。3方向から削られ続けて、私という人間はどんどん薄くなっていった。

そして朝、目が覚めると体が動かない日が来た。

最初は週に1度。それが週に2度になり、やがて学校に行けた日を数える方が早くなった。

布団の中で天井を見ながら思う。今日も行けない。行けないというより、行く理由が見当たらない。あそこに行って何がある。笑われて、無視されて、分からない授業を聞かされて、1人で昼を食べる。それを繰り返すために起き上がる理由が、私にはもう生成できなかった。