これが鬱というものか、と後になって知った。当時はただ、自分が怠惰なのだと思っていた。根性がないのだと。甘ちゃんなのだと。
そして、あの人の反応は、予想通りだった。
「千晴、起きなさい。学校行かないとどうなるか分かってる?」
声が部屋に入ってくる。朝7時。カーテンを引き開ける音。布団を剥がそうとする手。
「行かないとどうなるか分かってるの?」
同じ言葉を繰り返す。答えを求めているのではない。圧力をかけているのだ。
顔色窺わせて圧力をかけて行動させる。それは効果的かもしれないが、いつかツケを払わなければならない時がある。それが今だ。
「せっかくO中学に入れたのに。塾に何年通ったと思ってるの? 教育費がいくらかかってると思ってるの?」
教育費。この言葉を、あの人は呪文のように使った。私を学校に向かわせる魔法の言葉として。
聞いてくれ。教育費を投じて通わせた先で、娘がどんな目に遭っているか、あなたは1度でも聞いたか。聞こうとしたか。
しなかった。1度も。
あの人が恐れていたのは私の精神状態ではなかった。不登校児の親である、という事実だ。それが外に漏れることを恐れていた。
あの清潔なワンピースで参観日に来ていた本山優子が、娘を不登校にさせた母親である、というラベルを貼られることを。
娘の回復など、最初から優先順位になかった。
あの人は特に自転車が嫌いだった。玄関前に置かれた通学用の自転車が。
「あれ、近所の人に見えるでしょ」
ある朝、そう言った。不登校の子どもがいる家には自転車が朝から置いてある。それが証拠になる。だから自転車を見るたびに苛立った。娘が学校に行かないことへの苛立ちではなく、それが外から見えることへの苛立ち。
私は布団の中でその言葉を聞きながら、何かが完全に冷えた。
怒りでも悲しみでもない。この人は私を人間として見ていない。管理対象として、あるいは自分の評価を左右するアクセサリーとして見ている。娘の苦しみには興味がない。娘の苦しみが自分の評価に影響することには激しく反応する。
そういう人間だ。
次回更新は7月16日(木)、16時の予定です。
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