【前回の記事を読む】進学校の生徒が「仲がいいのに、なぜアメリカは原爆を?」と質問…教師の父が絶句した、太平洋戦争を知らない世代の“誤解”

ホームランとフォーマルハウト

当然の反応だと思う。あの水口さんもそんなふうに考えて、普段の生活をしていたはずだ。人生一寸先は闇。実際に災難が降りかかるまで、その言葉の意味を知る人はきっといない。聞くだけ野暮だった。

「ちょっと待て」

席を立ったわたしを、慌てた様子で父が呼び止めた。

「超健康的って言ったこと、母さんには内緒だぞ」

了解、という意味で頷く。

やはり我が家は平和だ。この平穏を保つには偶然に期待していてはいけない、努力しなくちゃだめだ。今さらのようにそう心に刻んだわたしは、母の待つダイニングへと足を向けた。新聞に戻った父が、紙面から目を離すことはもうなかった。

けっして待ってなんかいないと自戒しつつも、カレンダーを気にする生活が続いた。講義がない日も大学に出向き、学内図書館で時間を潰して、ダイエットは明日から必ず、という呪文を心に唱えながら購買で甘いものに舌鼓を打つ。そんな無為な毎日を送っていると、土曜日はすぐにやって来た。

約束したわけじゃない、とわたしは確信している。だから行く必要なんてない、と思う。だけど足は、先週と同じ道を進んでいる。

からりと乾燥した秋晴れの週末だ、季節は着実に進んでいる。わたしの服装も秋らしい色目に変わった。

薄手のセーターに紺のデニムパンツ、夜に向けての寒さ対策に、浅黄色のカーディガンを片手に件の地へと向かった。気分のモヤモヤは依然として晴れていないけれど、風が気持ちいい分、いくらか心が軽く感じる。

時刻は午後五時。太陽が沈んだばかりなのに、夕光を反射する雲がないせいで、足もとはむしろ薄暗い。月はなく空気の透明度もいいから、星を眺めるには持ってこいの条件だろう。

空き地は変わらずそこにあった。工事に着手した様子はない。

これほどの広さを持つ土地を、何故放っておくのか。地上げはしたものの、マンション計画が頓挫して、宙ぶらりんになっているのだろうか。それともご近所さんの署名運動が功を奏して、設計の見直しを迫られているのか。ひょっとしたら地元の篤志家が買い取って、公園にするつもりだろうか。

空き地の中ほどに立ち、どうだっていいことを考えていたら、薄暗がりの向こうから、二つの小さな影が近づいてくるのが見えた。

「あ、おねえさん」

大きい方の影が手を上げた。つられて小さい方も胸前で手を振る。

視力のいい子だと思う。近視のわたしは、ちょっと薄暗いだけで遠目がきかなくなる。

「こんにちは。もう、こんばんはかな?」