私が長崎のハウステンボス社に勤務していた時、その美術館で、読売新聞社が「大ベートーヴェン展」と称して、ボンのベートーヴェン博物館から、ベートーヴェンの自筆譜やら、彼の使っていたピアノやら、その髪の毛までを持ち出して展示してくれたことがあった。
展覧会のオープンの時、ベートーヴェンの文献学的研究家でもある館長さんが来られ、一夕食事をともにした。
第九のこの部分の話を出して、どちらが正しいと思うかと質問してみた。館長は学者らしい謙虚さで、「私にもよく判らない。概して文学的な意味合いを重視する指揮者はディミヌエンドさせるようで、音楽的なダイナミズムを求める人はティンパニーを強く連打させるようだ。」と言われた。
そこで私の和声論とケループ論を話したところ、「大変示唆に富んだお話だ」と、ある種共感を賜ったことがある。
2 初演会場から考えるベートーヴェン
現在の半分以下の規模の会場での交響曲
二〇一八年にウィーンを訪れた時、ベートーヴェンの交響曲が初演された会場をいくつか訪ねてみた。
第三、第四交響曲が初演されたロプコヴィッツ公爵の邸宅のホールはその初演に因んで「エロイカ・ザール」と呼ばれる。
その規模は座席数は一三〇人程度と推測される。この広さでは、スペース上も音響上からも三〇人弱くらいのオーケストラが限度だろうと想像される。
また、第八交響曲の初演、第七交響曲の再演が行われた王宮のグロース・レドテンザールは、客席数五〇〇~六〇〇程度、許容オーケストラ規模は四〇人程度、第二交響曲初演のクライネ・レドテンザールは一回り小さく、三〇〇~四〇〇席、オーケストラは三〇~三五人程度と思われる。
第五、第六交響曲初演のアン・デア・ウィーン劇場は、客席一〇〇〇席、オーケストラは四〇~四五人であろう。(参考までにサントリーホールの大ホールは二〇〇六席)
(注1)第九交響曲初演のホールは国立オペラ劇場のすぐ裏にあったが、今は有名なザッハー・ホテルが建っている。また第七交響曲の初演はウィーン大学の講堂で行われたが、それはすでに取り壊されている。
(注2)一説によると、第三交響曲試演場所は、ロプコヴィッツ公爵の故郷のチェコにあるイエゼジー城の一室であるといわれる。ウィーンのエロイカ・ザールの解説ではその一室もウィーンのものとほぼ同規模とのこと。
なお、ベートーヴェンの初演時の規模で全曲を録音したウィーン・アカデミー・オーケストラのマネージャーの話では、試演場所はウィーンのエロイカ・ザールであるとして、そこで録音している。
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