【前回記事を読む】ゲーテは言った——「趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられる」

一 『ゲーテとの対話』(上)を読みながら考える

優秀な人物のなかには

ゲーテ「優秀な人物のなかには、(中略)何事も即席ではできず、何事もおざなりに済ますことができず、いつも一つ一つの対象をじっくりと深く追求せずにはいられない性質の持主がいるものだ。

このような才能というものは、しばしばわれわれにじれったい気を起こさせる。すぐさま欲しいと願うものを、彼らはめったにみたしてはくれないからだね。けれども、こういう方法でこそ、最高のものがやりとげられるのだよ。」(上一四六〜一四七頁)

ゲーテのこのあたりの言葉を読むと、ゲーテは紫式部という人物を知っていて話しているのではないかと思われてくるほど、紫式部にぴったりの言葉である。

藤原道長は、紫式部を中宮彰子(しょうし)に仕えさせるよう、紫式部の父為時に求めた。紫式部としては、現に『源氏物語』を執筆中であり、しかもその内容は貴族社会に多く見られる理不尽を批判するものであるから、時の権力者のそのような求めに応じることなど、論外だと考えるほかない。

為時としては、紫式部の思いが痛いほどわかる。しかし、かつて越前守に任じられたことについて、道長に恩義がある。

また、権力者が熱心に言われることを貴族社会に生きる者として拒むべきではないだろう。そう考えて、為時は紫式部を説得し、紫式部は、父の意向を受けて、出仕することにした。

道長の心づもりとしては、かつて皇后定子(ていし)のもとで形成されていた華やかなサロンと同じ趣向のものを、中宮彰子のところに作りたいということであったらしい。定子のもとには清少納言がいた。紫式部なら清少納言に引けを取らないだろう。

ところが、実際に紫式部が出仕して彰子に仕えている様子を見ていると、紫式部は、才気煥発(かんぱつ)というような様子が見えず、いたって静かな人である。まさしく、ゲーテの言う「じれったい気を起こさせる」人である。道長は、人選を誤ったと思っただろう。

念のため、北の方である倫子(りんし)の意見を聞いてみると、道長とは全く違う見方をしている。倫子は、道長よりも、人を見る目があるらしい。倫子は、紫式部のように落ち着いた、冷静に物事を見る人が、中宮彰子のためにぜひとも必要なのですという趣旨の返事をする。

しかも、中宮彰子自身が、紫式部に親近感を持っているようだ。『紫式部日記』によれば、中宮彰子は、「いとうちとけては見えじとなむ思ひしかど、人よりけにむつましうなりにたるこそ」(紫式部日記二〇六頁)(あなたと打ち解けてつきあうことができないだろうと思っていましたが、ほかの人よりもずっと親しくなれました)と言っているとのことである。

紫式部は、『源氏物語』を書くという大きな仕事をなし遂げたが、それにとどまらず、中宮彰子を教育するという大仕事を見事にやり遂げた。