【前回記事を読む】マニラへ出発直前、母は病院の玄関まで降りてきて「私に何かあっても戻ってこなくていい」と言った。母の瞳は潤んでいて……

第1章 青年海外協力隊から医師へ

医師を志したきっかけ

皮膚がぼろぼろになった老人の足に触れながら、「痛くないですか? 痒くないですか?」と優しく言葉をかける医師。「胸が痛いよ、痛いよ」と訴える幼い女の子にひざまずきながら笑顔で胸部を聴診するリーダー医師がいた。

劇的な再会

その医療ボランティア活動から日常生活に戻って数か月後のこと、思わぬ出来事に遭遇した。急流滝下りで有名なラグナ州パグサンハン滝に週末を利用して友人たちと共に行った時のこと。オーストラリアから来た高齢の男性観光客が急流に流され、呼吸停止状態に陥ったのだ。

急変した人を目の前にしながらも何もできずに立ちすくむだけの私。その前でとっさに急流に飛び込み、その溺れた男性を河原に引きずり上げた人がいた。そして全身びっしょり濡れた意識のない男性に対して直ちに河原で心肺蘇生処置を開始した。

その人こそ半年前に僻地医療ボランティアへ同行させてもらったフィリピン人リーダー医師だった。心肺蘇生処置を施している情景は、私にとってこれまでに感じたことのない衝撃の一瞬だった。

〝自分もこういう人になりたい、医師になりたい〞。強く思い始めた瞬間だった。

再度の受験勉強

二年間の協力隊任期終了後に帰国した。日本で改めて医学部入学への受験勉強を始めた。昼は予備校で受験勉強をし、夜は別の予備校で数学教師としてアルバイトをした。そして高知医科大学(現高知大学医学部)に入学し6年間医学を学んだ。医科大学では、私の状況を理解し適切なアドバイスをくださった教官や良き親友たちにも恵まれた。

しかし医学部入学後まもなく、心配ばかりかけてきた、教師ひとすじで生きてきた父が癌で突然亡くなった。その後、病弱だがとても優しかった母の病態も悪化した。医学部卒業式直後、亡くなる寸前に病床へ行くと「勉強しなくていいのかい、患者さんに優しいお医者さんになりなさい」。私の医師国家試験合格通知を待たずに白い病床で亡くなった。