【前回の記事を読む】久しぶりに実家に帰ってきた一人息子。黒いメガネの奥の視線は父を見ていない気がして……
息子にAIを彼女として紹介されたらどうしよ
第1章 メガネを外さない息子
「どうした」
「ん? いや、なんでもない」
メガネの奥で、薄い光がまた一度、瞬いた。
――この部屋には、三人目がいる。
そう気づいた瞬間、箸を握る指に、少し力が入った。
「そういえばさ」
息子が、箸を置いた。湯気を通して見るメガネのフレームが、白く曇っている。
「今度さ、紹介したい人がいるんだ」
鍋の中で、静かに泡が弾ける音がした。
テレビもつけていないリビングで、やけにその音だけがはっきりと聞こえる。
「紹介?」
「うん。ちゃんと話すのは、次に帰ってきたときでもいいんだけど」
息子は言葉を選ぶように、ゆっくりとしゃべる。
その間合いが、私の胸をじりじりと締めつけた。
少年だった頃、あいつはもっと早口だった。言いたいことが先にあって、そのあとから息がついてくるような話し方をしていた。それがいまは、あらかじめ決められた台本を確認するみたいな喋り方になっている。
「どんな人だ」
父親としては当然の質問を投げる。
声が少しだけ上ずっていた。
息子は一拍置いて、笑った。
「お父さんも、きっと気に入ると思うよ」
その答えは、答えになっていなかった。
メガネの奥で、彼の瞳が誰かに合図を送る。
私には見えない誰かに向かって。
その夜、息子は結局、メガネを外さないまま床に入った。
客間のドア越しに、時折くぐもった声が聞こえる。話し相手は、壁のこちら側にはいない。
布団に横になりながら、天井の木目を見つめる。
昔、息子が幼かった頃、熱を出して寝込んだ夜に、私はこの同じ天井を見ながら、布団の中の小さな背中に手を当てていた。
呼吸のリズムと、熱の上がり下がりを、掌で確かめるために。
いま、あいつの体温は、どこで測られているのだろう。
誰の手が、その熱を見ているのか。
目を閉じると、黒いフレームの形だけが、まぶたの裏側に焼きついていた。