第1章 脳梗塞 突然の発症と在宅介護の始まり
私を捨てないで!
八十九歳の母は暇さえあれば呉服屋さんが持ってきた生地を着物に仕立てていた。その母を突然襲ったのが、脳梗塞の一撃だった。
平成十年(1998年)の末、普段なら朝食の支度をしているはずの母の姿がリビングに見えない。リビング隣の母の部屋から
「ヒコちゃん、助けて!」
ふすまを開けると母が四つん這いの姿勢でうずくまっていた。
「どうしたの!」
「足がいうことを聞かないの。トイレに連れて行って」
母をトイレに連れて行き、便座に座らせた。しかしお尻の位置が浅かった。
「もっと後ろにお尻をずらせて」
と言っても母は足を踏ん張れないでいる。これはかなりの重症だなと思いつつ、お尻を両手で抱えて便座に座らせた。
「腰を痛めたのだろう」そうとしか思えなかった。脳梗塞に関する知識は全くなかった。
母は三ヶ月に一度、近所の医院で血液検査と血圧の測定を受けていた。直近では先生に「血が濃いね」と言われた、と母は話していた。私は「貧血ではなく栄養が足りているんだ」とトンチンカンな理解をしていたのだ。「血液サラサラ作戦」という言葉が茶の間に溢れ出したのはもっと後のことだ。
当時の母はトイレが近く、間に合わず失禁してしまうことがあったと後で知った。そのため水分を控えていた。医師の診断は「血液の粘性が増し、脳梗塞の危険がある」というものだった。しかし「血が濃いね」という表現では、母にも私にも危機感が伝わらなかった。