秋の学芸会では、各学年が左翼系の日本児童文学者協会などの作品をこぞって取り上げ、その様子が赤旗新聞に掲載されることもしばしばだった。子供を政治活動の道具に使う手法は無関心派の相川でさえ違和感を禁じ得なかった。

そしていよいよ学校行事最大のイベント〜卒業式の準備が始まった。それはまさに職場闘争の一年の集大成なのだった。

年が明けると卒業式の実施計画の話し合いが始まった。卒業証書を授与するだけと思っていたら大間違い。6年の担任を中心とする実行委員会が組織され、彼らが立案した各校独自の式典運営を職員会議で話し合い決定するのである。

目的は、日の丸を掲揚しない、君が代を歌わせないという共産党の大命題を実現するための戦略なのだった。

それに加え、その年の卒業式は壇上での証書授与を行わず、体育館のフロアの真ん中で授与するという平面式の式典が発案された。

上から卒業証書を渡すのではなく、全校を挙げて卒業を祝うために壇を置かない。当然日の丸を掲げる場所もなく、君が代を歌う代わりに卒業を祝う組合的な合唱曲を在校生が歌う式典だった。

さすがの相川もいくら話し合いとはいえ義務教育の場でこんな蛮行にも等しい偏った取り組みは到底容認できなかった。

「卒業式は日教組の理念を具現化する場所でなく、国民である子供の記憶に平等に残る式であるべきだ」

ついに、ある日の職員会議で事務職員の立場を忘れて発言してしまった。