簡単な類例を挙げてみよう。ここに、ある虫がいて、この虫は、幼虫時代には赤色、成虫時代には黄色、老虫時代には青色となり、幼虫時代には身の丈が急速に伸び、成虫時代には成長は止まり、老虫時代にはやや身の丈を縮めて、死ぬ、という生涯をたどるとしてみよう。一つの森の中で、この虫を研究するとする。

この虫は、時間の横断面では、すなわち、同一時期において観察する限りでは、当然、生育段階の異なるものたちが混在している。同じ虫なのに、個体によって、成長の早い個体、遅い個体の差があり、しかも、同じ成虫段階であっても、体の大きな個体、小さな個体があって千差万別、要するに、様々な個体が混在しているはずである。

在る研究者が、この森に住むこの虫を逐一調べ上げ、調べ上げた時点での虫の色と、調べ上げた時点での虫の身の丈の単純平均値を算出して、「この虫の平均の大きさは、三センチでありまして、この虫の色は、赤色もあれば、黄色もあれば、青色もあります」と報告したとしよう。

この研究の愚かさは、誰の目にも明らかだろう。一匹の虫の、ひとすじの成長過程を推測しようという研究態度すらないこの研究は、多くの労力を費やしたにもかかわらず、当の虫を知るという観点からすればおよそ無価値である。

この虫の例であるならば、この研究者の研究方法が余りに的はずれで研究結果も本質的に誤っていることは簡単明瞭、誰の目にも直ちにわかる。

家族制度史について、エンゲルスらの推論を批判する多くの欧米の文化人類学者たちが行った研究は、この虫の研究者の過てる研究と、五十歩百歩である。

親族用語は親族制度を反映しないといって、モルガンやエンゲルスの推論の大前提そのものを否定する説もある。だが、親族用語は親族制度を、ある程度は反映するのである。その程度を斟酌しながら推論をめぐらすのが、家族制度史研究の勘所である。

親族制度を、ある程度ないし相当程度、反映していると考えられる親族用語を見極め抽出し、それらの秩序付けの妥当性を確認しつつ、モルガンらは、家族制度の発展的図式を推論したのであって、親族用語は親族制度を反映しないという乱暴な命題による批判は、批判の名には値しない。

 

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