【前回の記事を読む】奴隷を獲るのは、男たちの仕事だった…これまで獣に向けていた武器を、人間に向ければよかった。

序論

第一節 日本古代史への動機とシャカムニの思想および母系制と父系制についての序論

「奴隷階級」という階級が目に見える形としては消滅した現代において、なお本質的には「資本」に繋がれた奴隷労働が連綿として継続している。国際金融資本は、金融システムという合法的錬金術によって、原価廉少なる「造幣」・「信用創造」を用いつつ労働を「借金」のくびきに繋ぐシステムを獲得している。

戦争・疫病・災害によって借金する者が増えるほど肥満するこの金融システムは、心のメタボリックシンドロームを体現し強化するシステムの典型である。このシステムは、借金する者が増えることになる戦争・疫病・災害を歓迎する体質を秘める。このシステムの民主化無くして戦争依存症候群の治癒は有りえないと思われる。

ところで、西洋の人類学者のなかには、母系制から父系制という発展的歴史観を否定する論者が、少なからず存在する。未開部族の研究によって、様々な家族制度の類型を羅列して、発展的に秩序立てることは無理である、と結論する類の議論が多い。

こうした議論は、モルガンやエンゲルスが試みた如き、家族制度に関する発展的秩序に関する推論を、批判する。

モルガンやエンゲルスは、親族呼称が親族関係を何らかの形で反映するという前提のもとで、その親族呼称から推測される家族制度を、発展史的に秩序立てることに成功したのだが、この前提がそもそも成り立たないという批判をする学者もいる。しかし、これら様々な批判は、実のところ、まともな批判にはなっていない。

まず、今日の未開民族に残る多種多様な家族制度は、彼らが既に進化の袋小路に入り込んでしまった、その原因ないしその結果であるかも知れない。

より正しい言い方をすれば、これら様々な未開民族の家族制度の多くのものは、家族制度史が形づくる進化樹の、多様に繁る枝葉の、その枝葉末節に過ぎない。

モルガンやエンゲルスは、この進化樹の主幹に当たる部分が何かを突き止めたのであって、この説を批判するためには、この進化樹にはそもそも幹はない、あるいは在ったとしても、全く異なる幹であるということを、逆に証明しなければならない。

モルガンやエンゲルスによって発見された、家族制度史の主幹たる発展的家族制度史を批判するのに、家族類型を平面的に並べて見せるだけでは、それらの混沌の中からひとすじの発展的秩序を抽出しようとしたエンゲルスらの努力を、単に無視しただけであって、説得力のある批判には到底なり得ない。