【前回記事を読む】黒板いっぱいに書かれた酷い暴言の数々…その中心に描かれていたのは、明らかに同級生の醜く歪められた似顔絵で……
第Ⅰ部 幼い日の痛みと揺れる青春
第1章 幼い日の傷
黒板の落書き
その日から、いじめの矛先は、その子から、私に変わった。靴箱に行くと、上履きがなくなっている。校庭の隅や、植え込みの中から泥だらけで見つかることもあれば、そのまま見つからないこともあった。
帰り道、私は毎日のように裸足になった。アスファルトの熱さと冷たさが、季節を教えてくれる。家に着くと、母は決まって眉間に皺を寄せて言う。
「また? あんたがちゃんとしてないけんよ」
その「ちゃんと」が、何を指しているのか分からないまま、私はうつむいて黙るしかなかった。それでも、私の時代は「学校に行かない」という選択肢がほとんどなかった。
いじめられていても、熱が微妙でも、ランドセルを背負って校門をくぐる。家を出る前、仏壇の前に座って手を合わせた。線香の煙がゆらゆら上に伸びていく。
「今日はいじめられませんように」
毎日同じ言葉を心の中で唱える。
けれど、その願いがかなった日は、ほとんどなかった。
父と息子に受け継がれたもの
私の父は、スポーツ万能だった。足がとても速く、「若松のウサギ」と呼ばれていたらしい。本当なら、ラグビーでW大学に行くはずだったが、親ががんになり、その夢は途中で途切れた。
残念ながら、その運動神経は私と弟にはあまり引き継がれなかった。私は母親似で、びっくりするほど鈍くさく、顔だけ父親似だと言われていた。父はよく冗談めかして、「姉ちゃんは顔が“しばらく”長いね」と言った。
「その“しばらく”の使い方、違くない?」と心の中でツッコミを入れながらも、どこかうれしかった。
父は、孫をとても可愛がった。まだ足元がおぼつかない息子の手を引いて、よく競艇場に連れて行った。
空気が悪いので、私はすぐ近くの公園へ連れて行ったが、そこで息子は、車のナンバープレートを眺めながら数字やひらがなを覚えていった。
友達は「天才やん!」と言ったけれど、私は「子どもはみんな神童って言うやん。普通、普通」と笑って受け流していた。
ある日、家の中でボール遊びをしていたとき、ボールが仏壇の下に転がった。私はてっきり、息子が手を伸ばして取ると思っていた。
ところが息子は、仏壇の下のお盆をスッと手前に引き寄せ、その上に乗ったボールをこちらへ滑らせてきたのだ。