読者の中には、「秀吉が謀反を起こす」と書かずに、「藤吉郎さりとてはの者にて候」と書いても、読む者が皆「秀吉が謀反を起こす」と解釈するのであれば同じではないかと考える方(かた)がいるかもしれないが、
直接そう書かないことで、もし、誰かに読まれて信長に伝わり、「秀吉、そなた、謀反を企んでおろう」とか、「恵瓊、そなた、知っておったのであろう」と問い詰められても、「何を仰いますか。恵瓊は某(それがし)を大した者だと言っているだけでござる」と言えば、それ以上追求する根拠がないのだ。信長としても、そんな言い逃れができる状況で問い詰めたりはしないだろう。
これが「藤吉郎さりとてはの者にて候」の正しい解釈で、秀吉は早くから謀反を考えていたのだ。
4 見つからない信長、信忠の遺体
本能寺の変においてもう1つの謎は、信長・信忠親子の遺体が発見されていないことだろう。
歴史家の中には「本能寺が焼けてしまったので、遺体も焼けてしまって判別がつかなくなり信長の遺体が発見できなくなったのであって、見つからなかったことに不思議はない」
と言う方(かた)がいるが、本能寺は賊に襲われてから火がつけられたのである。
賊が光秀の家臣だとしたら2千人はいたはずで、信長の側は数十人なので、火がつけられて数分以内に賊が信長の家臣をほとんど倒したはずだ。
それから光秀の家臣は指をくわえて本能寺が炎上し、燃え尽くすまで傍らで待っていたとでもいうのだろうか。そんなはずはない。信長は賊に手傷を負わされて奥の間に入ったのである。すなわち、賊は信長の面前にいたということだ。
そうであれば信長が奥の間に入ってほどなく賊はその部屋に押し入り、信長の身柄を拘束できたはずである。そうであれば光秀の家臣が光秀の命を受けていようと受けていまいと信長の遺体を発見できないことはあり得ない。
もし、仮に信長の遺体が判別できないほどに焼けたとしても、信長は奥の間に入って切腹し、家臣はその外で戦って討ち死にしたのだ。そうであれば奥の間には遺体は1つしかないはずであり、それが信長の遺体であることに疑問を持つ者はいないだろう。
そうであれば「信長の遺体がない」と伝えられることはない。それが「信長の遺体がない」と伝えられているということは、すなわち、奥の間には誰の遺体もなかったということである。
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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