【前回の記事を読む】信長は最期まで戦ったはずなのに――最初に入った者が目にした“異様すぎる静寂”

第一部

5 その他の不合理

3 安国寺恵瓊の書状

安国寺恵瓊は安芸武田氏の一族で、毛利元就に攻められた際に城を脱出し、出家して僧になり、その後毛利家に仕え、対外折衝を任されていた僧で、本能寺の変の9年前(1573年)に信長方の重臣である秀吉が足利義昭将軍に帰京を要求する交渉に立ち会い、その後毛利家重臣に

「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけにころばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」と書いた書状を送っている。

「高ころびにころぶ」と言うと、敵と戦って敗れるというより、「ころぶ」≒「躓く」≒「家臣の謀反」と解釈されており、筆者も同じ解釈だが、問題はその後の「藤吉郎さりとてはの者にて候」という部分だ。

この部分について、通説では「大した者だ」と解釈されているが、これに対して、「ハ」は「は」ではなく数字の8で、賤民を指すという解釈もあり、名前も「秀吉」ではなく、「藤吉郎」と書いていることから、恵瓊が秀吉を見下してこのように書いたという説を唱える歴史家がいる。

この部分、「秀吉は賤民だ」と毛利家家臣に伝えても何にもならないのに、わざわざ書くだろうか。ここは「大した者だ」と解釈するべきだろう。「『大した者だ』だけではどう

大した者なのかわからず、意味をなさない」と仰る方(かた)がいるかもしれないが、実はどう大した者なのかはすでに述べられているのだ。

ここは藤吉郎(秀吉)の名を出すことで読む者に「信長に謀反を起こすのは藤吉郎だ」と伝わるのだ。つまり、「秀吉は信長に謀反を起こすほど大した者だ」と解釈するのが正しい。

古来、文(書状)はいつ誰に読まれるかわからないので、いつ誰に読まれても良いように謎めいた表現や記述で書かれたといわれる。

しかし、だからといって何を言っているのか伝わらないのでは意味がないので、その意味を含めて、相手には意味が伝わるようにしつつ、他者が読んでもわからないように書く必要があった。

例えば、毛利元就が幼少の時、大内家に従って京に行き、細川家と戦っている兄から「裏切り者は一切いない」と書かれた書状が届き、「『〇〇が裏切った』、というのはその裏切った者のことだけを調べれば言えるが、『裏切り者は一切いない』と言うためには全員を徹底的に調べなければならず、実行は不可能だ。

これは逆に『裏切り者がいる』と伝えたいのではないだろうか」と考えた。そしてその通り、尼子が裏切っていたのだ。