【前回の記事を読む】「ノーベル賞級」と世間が騒いだ発見は、なぜ幻に終わったのか……周囲が信じ込んだ“思い込み”の正体と、そのワケ
第1章 悪意のない欺き――困ったちゃんとしてのコミュ障
マスコミとのギャップ
たび重なる記者会見を観ていて、やじ馬として面白かったのは研究所サイドに近い人物ほど、マスコミの主張となかなかかみ合わない点であった。
とりわけマスコミは、「それでSTAP細胞は存在するのですか」とくり返し尋ね、歯切れの悪い返答にイラ立ったのが、印象に残った。だが研究者にとってこの質問は土台、答えようのない類の問いであるのだけれども、当の尋ねる側はそのことにまったく思いいたらないらしい。
というのも、これについてはまたあとでふれるが、そもそも科学的な大発見というのはモンゴルの草原の中で、埋もれているジンギスカンの墓を掘り当てるようなものなのである。ジンギスカンが埋まっている可能性はゼロとはいえない。埋まっているかもしれないのだ。それを「ジンギスカンの墓はそもそもあるのですか」と問われても、あるかもしれないし、ないかもしれない。
コミュ障の彼女は、「見つけた!」と報告した。だが、周囲の人たちがよく調べたら、墓ではなかった。それゆえ研究所の彼女以外の人たちがマスコミに対して答えられるのは、「彼女が行った手法で探してみたところ、発見はできませんでした」という限定したものにとどまらざるを得ない。
だって、他の手法でアプローチしたらやはりSTAP細胞は見つかった、という将来の可能性は否定できないからである。それだから、「そもそもSTAP細胞は存在するのか」という問いには、歯切れが悪くなってしまっているのに、マスコミは自分たちの質問の粗さに気づかなかった。また回答する側も、そこを丹念に斟酌せずに終わってしまった。
そうして議論がくい違ったままで終結したものだから、結局マスコミは「今回の研究は膨大な研究費の浪費であり、税金のムダ遣いであった」と書く。
百発百中、探している対象を掘り当てる人間なんて、この世にいないのである。
科学的研究というのが失敗の連続であることを、ノーベル賞を取った山中伸弥教授もいつも口にしているように、当のマスコミはしばしば書いているはずである。失敗とはすなわち、マスコミのいう税金のムダ遣いにあたる。それをイチイチとがめていたら、もう研究という行為は成り立たなくなる。
ところが、今回、マスコミはSTAP細胞を発見したと誤って判断したことを、激しく責め立てたのであった。