はじめに――コミュ障の人は誤解されている

コミュ障の人は、他人の気持ちを理解する能力に欠けているとか、コミュ障の人は社会性に乏しいとよくいわれる。しかしそういう通説は、じつは誤解ですよというのが本書のメッセージの一つである。その上で、どうしてコミュ障の人が生まれるのかを考えるのがねらいである。

ところで、コミュ障とは、言わずと知れたコミュニケーション障害を略した表現にほかならない。ただし省略形といっても、ただ単に文字数を節約しただけではない。むしろ「コミュ障」という単語自体で、独立した意味を指し示す表現でもあると私は考えている。

というのも、そもそもコミュニケーション障害というような障害が、世の中に存在するかどうかがまだよくわかっていないからである。

なるほど、知的障害というのなら、はっきりと診断可能である。知能テストによって計測される知能指数(IQ)の値が判断基準となるからだ。言語障害も同様だ。視覚障害、聴覚障害もしかり。視覚障害、聴覚障害もそれぞれ視覚、聴覚にかかわる感覚系の機能不全と原因がはっきりしている。

しかしコミュニケーションに障害があるといっても、いったいどのようにしてそれを測ったらいいのか、はなはだ心もとない。そもそもどういうコミュニケーションが適切なもので、どういうものが不適切なのか?

それにもかかわらず、「あの人はコミュニケーションの能力に若干問題があるのではないか」とか、「自分は他人より意思疎通をはかるのが劣るのではないか」といったふうなことを近年、耳にすることが多いのが現実だ。そういう人をコミュニケーションの技能に何がしかの問題をかかえた人、として総称しよう。そのレッテルが「コミュ障の人」というわけである。具体的には、どういう人々を指すのか。

世の中では、他人と会話すること自体に苦労する人々を指していうことが多いかもしれないが、ここではもっと範囲を広げている。

たとえば、自分の主張を一方的にまくしたてるものの、周囲の発言にはまったくといっていいほど聞く耳を持たない。周囲の雰囲気を察することもなく、まったくマイペース(いわゆる空気が読めない輩、ひと昔前にKYといわれた人々)。

他人に対しては、気持ちを察することなく歯に衣(きぬ)きせずに思うことをズケズケいうくせに、少しでも自分に都合の悪いことをいわれると、すぐにキレる人。すごく思い込みが激しく、他人のいうことにまったく関心を示さない人。もうおわかりだろう、みなさんの周りにも一人や二人、思い当たる人は必ずいるはずだ。

いわゆる「お騒がせ」といわれ、本当に「困ったちゃん」とレッテルを貼られる人々もコミュ障に含まれる。