含めた上で本当は、そういうコミュ障の人は誤解されているのですよ、ということを示すことが本書の目的の一つである。誤解の果てに、ひきこもってしまう人々すら少なくない。また、「私自身そうだ」という人もおられるかもしれない。事実、自分がコミュ障であることに悩む人が増えている、という話も耳にするようになってきた。では、どう誤解されているのか?
コミュ障の人は、社会性が劣っている。社会性は人間が社会を営む上で、不可欠の資質である。その資質が劣るのだから、彼ら彼女らは人間性について、そうでない人より欠ける点があると思っていないだろうか。
じつは、そうではない、むしろコミュ障の人間こそが、他の動物より進化した人間として、もっとも人間的な存在であるかもしれないということも、この本には書かれている。
コミュ障を極めるとは
歴史を振り返ったとき、人類は文明とか技術を発達させ、他の生物にはない卓越した人工的な生活を送れる今日の形にまでした。その推進力の役割を果たしたのはコミュ障の人であったのかもしれないのである。
それにもかかわらず昨今は、コミュ障の人が世の中のやっかい者のごとく、周囲から白眼視されているのは、たいへん不幸なことといわざるを得ない。さらに場合によってはその状況が、ひきこもる人を生む土壌と化している。
とするならば、それは当人にとって不幸なだけでなく、社会全体が不利益を被っていることにもなる。ではどうしてこのような状態に陥ってしまったのかというと、それはコミュ障の人がなまじ中途半端に周囲に「迎合」しようとするからである。そしてIT化によって社会のコミュニケーションの偏重の程度に拍車がかかっているからだと、考えられる。
本当はコミュ障の人は、周囲に引きずられてはいけないのだ。コミュ障を極めることによってのみ、コミュ障の人にとっての幸福は得られるのかもしれない。しかし、それがはなはだ困難な社会となってきている。
そこでコミュ障の人とその周囲の人々はどういうふうに生きればいいのか、そのヒントになることを本書の最終部分で記したつもりである。
最後までお読みいただきたい。
次回更新は6月2日(火)、7時の予定です。
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