又兵衛は黙って頷(うなず)き、「これで一歩前へ進める……」と、上覧試合に向けて決意を新たにしていた。
江戸城に入ったのは元服の時以来か。坂下門をくぐると欅(けやき)並木がしばらく続く。秋も深まって枯れ落ち葉が目に付く。薄日を受けた並木道の光景は静寂で目に優しく、自然と心を落ち着かせる。
まだ幼かった頃、剣術を習い始めてしばらくの間又兵衛は母に連れられ門前町の道場に通っていた。
道場は寺町筋の先にあり、その途中にやはり銀杏(いちょう)並木があった。今日のように寒気が出始め落ち葉が目立つ頃になると、サクサクというその踏みしめる音や感触が面白くて、又兵衛はよく母の手を振りほどいてはその上を走り回った。
そしてしばらくすると「又兵衛!」という母の呼ぶ声がして、母の傍らに戻るのだった。
その時の母の掌(てのひら)が冷え切った又兵衛の手をしっかり包み込んで、とても温かく柔らかかった記憶がある。
その母が、十三年前何も告げずに自分を置き去りにし姿を消した。好いた男に手を引かれながら……。
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