探求の終わりに 出発点に到達し その場所を知る T・S・エリオット
映画『あなたを抱きしめる日まで』(2014年日本公開)より
字幕翻訳者 松浦美奈

敵(かたき)

前編

1

白梅(しらうめ)がほころんだ。八重咲きのそれだ。春の兆しを又兵衛(またべえ)は感じた。ふうーと深呼吸した。あるかなきかの香りがあった。

まだ肌寒さが残るが、この下谷車坂町御徒(したやくるまざかちょうおかち)屋敷にもまた時節が巡って来たのだと思う。が、二間(ふたま)の部屋に戻ればまた自分は一人だ。最後まで一緒だった祖母も三年前に亡くなった。

「又兵衛一人を残していくのが何よりの心残り。せめて宿意(しゅくい)を果たすのを見届けるまでは……」

それが祖母の最期の言葉だった。組屋敷の空き地に白梅一本を植えたのも祖母だった。その形見の白梅が今年もほころんでいた。

祖父は、それよりさらに十年ほど前に逝(い)った。祖母は憤死だったと言う。その年の夏に父、六右衛門(ろくえもん)が頓死(とんし)し、跡を追うかのような終わり方だった。今際(いまわ)の際(きわ)に、

「六右衛門は、八右衛門(はちえもん)に殺されたのだ。元服したあかつきには八右衛門を捜し出し、必ず討ち取るのだ」

そうかたく又兵衛に言い残した。言葉は途切れとぎれながらもしっかりとした声音(こわね)だった。

叔父の八右衛門は、又兵衛が十歳の時に出奔し行方知れずだった。叔父が兄である父を殺したこと自体理解しがたかったが、敬愛していた叔父がその後逃げるかのように姿を消したことはさらに信じがたかった。この世はどんなことでも起こりうるのだ、とその時又兵衛は思った。