【前回記事を読む】黒塗りの高級車から降りてきたのは、少年ただ1人だった…彼は挙動不審な様子で屋敷のベルを押し…
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悲しいことに、それが実現する日は来なかったのだが。
飛鳥が、十五歳になったある日のことだった。学園長から、養子縁組の申し込みがあるのだが受けないかと打診された。
行く先は、知り合いでも親戚でもない。赤の他人の養子だった。
この養子縁組を受ける受けないは飛鳥の自由だと学園長は言ったが、飛鳥に迷っている時間はなかった。
なぜこんなにも不幸な子どもたちがたくさんいるのだろう。自分の身の不幸を思いながらも、飛鳥は学園の現状を痛感しては、日々嘆いていた。
生まれたばかりだろうという赤子から、飛鳥と同じくらいの年齢の子どもたちまで、さまざまな歳の子どもたちが学園には何十人も暮らしていた。寝る場所や食事には困らないけれど、十分には行き渡らないおもちゃや、お菓子の取り合いでのケンカ。いて欲しい時に親のいない不安。学園内では、毎日のように小さい子どもたちの泣き声が響いていた。
そんな状況では、子どもなりに自分がしっかりしなければいけないと思うようになる。高校を卒業するまでは学園で暮らせる決まりにはなっているのだが、中学を卒業したら学園を出るというのが当たり前のようになっていた。だから、学園内でも一番年上の部類に入るか入らないかといった頃から、飛鳥はもう自分の今後を真剣に考えなければならないと感じていた。
養子に迎えられた子どもは、他にも見てきた。自立するには、飛鳥の年齢では困難なことが多すぎるのはわかっている。養子に迎えてくれると言ってくれる家があるのなら、ありがたく受けた方がいい。今までお世話になった学園のためにも、自分のためにも。
たとえ、その養子先がどんなところなのかもわからず、自分では選ぶことができなくても。
そう決心して、飛鳥は『北沢家』の養子となるためにやって来たのだった。
学校や病院などは学園内にあったし、生活に必要なものは全て支給される。買い物にも行ったことがなかったため、飛鳥はこの日初めて学園の外へ出たのだった。そうは言っても、学園の門の外からすぐに車に乗せられ、そのまま数十分車に揺られただけ。初めての学園の外の雰囲気は、車窓から流れる景色を眺めただけだった。