全盲の豊松小さな旅
白川ダムの湖底に沈んだ九戸の集落には、独特の風習が存在し、元旦の新年会もその一つで、全戸が二組に分かれて、新年のあいさつを交わしていくのである。
主客は家長の組で、総本家と言われる武右衛門家を振り出しに、各戸でもてなしを受けるのであるが、我が家では九膳の漆塗りのお膳で料理を饗していた。もう一組は家長以外の若い衆と呼ばれる成人でその中には、住み込みの作男も含まれており、この組には大皿の料理を取り分けるようにもてなしていたが、主婦の負担は相当のものであった。
豊松が全盲となった翌々年の正月より、集落の新年会も父應吉の発議で、当番制で一戸の家で老いも若きも全員で行うこととなり、特に願って一回目の新年会を我が家で執り行うことになった。
これは表向き主婦の負担軽減としていたが、豊松が全盲となって自宅での生活は不自由なく暮らせても、勝手のわからない他人の家を訪れることは無かったので、存命中の豊松に矢淵集落の新年会に参加させたいと應吉が考えた行動であった。
新年会では祝い事の定番で、豊松に唱して四海波・高砂・鶴亀の三番を全員で謡ったのであるが、この後豊松が謡曲を謡う機会は訪れなかったのである。
私の住まいより白川沿いの上下流四kmの間の集落西方に共有山林大館山があり、その山の周辺の地名に纏(まつ)わる、大館縁起と言われる八幡太郎伝説が綴られている。その中に大将矢淵の砦の峰より、誤って栗焼飯を転がし落とし、家臣に探させたが見つからず、石に取られた故に石取り沢と名付けられたとある。
この沢が白川の左岸に合流するすぐ上流に不動尊の滝があり、鎌倉権五郎が鳥海弥三郎に左目を射抜かれ、この滝で目を洗うと早速に痛み癒えると言い伝えられ、この不動尊を矢淵集落で祀り、現在この滝は白川ダムに水没し、白瀧不動尊として県道沿いに不動明王を建立して居る。
ここより百mほど下流の川辺に、真冬でも積雪しない温泉が湧出している窪地があり、この地の山林一体は、井上平左衛門家の所有で、伊達家の家臣遠藤四郎左衛門より鷹書を贈られ、この地も井上家が大館山と共に鷹匠の鷹を捕獲するための一部分山林と思われる。
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