そんな高校1年の夏、英語の団体からアメリカへホームステイすることになった。

その活動の中で「両親に感謝のお手紙を書きましょう」というものがあり、私は素直に感謝の気持ちを書いた。

それは英語の先生に提出するだけのものだと思っていたからだ。

すると後日、お母さんが「なんなのあの手紙は!! ホームステイさせてくれて感謝しているとか書いてたけど、感謝なんかしてないくせによく書けたね!!」と激怒された。

「しまった」と思った。

あの手紙が親に渡されると知っていたなら、感謝しているなんて書かなかったのに。

なぜなら、素直に書いたらそうやって罵倒されて喧嘩になることがわかっていたからだ。

そこからまた悪夢の大喧嘩となった。

私はもうできるだけお母さんとの喧嘩を避けるように過ごすのが習慣になっていった。

もう「喧嘩ばかりで苦しい」という感覚さえ通り越していた。

高校3年になると進学の話が出てくるが、うちではお父さんが「大阪に英語の優秀な学校があるからそこで英語を頑張って勉強してきなさい。ちょうどママがいるからそこに住めばいい」と言ってきた。

英語が大好きで本当に頑張って勉強していた私はふたつ返事で「うん!」と言った。

そして推薦入学の受験で11月には大阪の短大に行った。

合格した。

大阪でどんな生活が待っているのか、どんな英語の勉強ができるのか、楽しみで仕方なかった。

だが合格してしばらく日にちが経つと、長崎を離れるということが寂しくなり、お父さんに「やっぱり長崎の学校に行こうかな」と言った。

するとお父さんはいつになく真剣な顔をして私の正面に正座し、「大阪で頑張ってきなさい、長崎ではもう十分頑張ったよ」と、こんこんと言われた。

「なぜそこまで強引に大阪に行かせたいんだろう? レールを敷かれているみたい、長崎に残るという選択肢はないようだ」という印象だったが、大阪の学校に不満がある訳でもないので、承諾し、そのまま大阪に行くことになった。

 

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憎しみに溢れた、能面のような毒母の顔。大学進学を機に家を離れた。見送りはいらないと言い残し、ひとりで駅に向かった。

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