わたしはその頃、とても怖がりでありながらも無頓着(むとんちゃく)な子どもだった。年齢的にも性別的にも小学二年生というのは、成長過程においていろいろと難しい年頃で、家の外でも家の中でさえも、ありとあらゆる場所において危険が伴うものだ。

♫大きな栗の木の下で

♫あなたとわたし

♫仲良く遊びましょ

♫大きな栗の木の下で

※『大きな栗の木の下で』歌詞一番は作者不詳。

どうしようもない不安感に苛(さいな)まれ自分自身を見失いそうになった時に、必ずと言っていいほどこの歌が脳内を忙(せわ)しなく駆け巡(めぐ)る。繰り返し繰り返し、うんざりするほど正確に完璧に何度も再生され続けるのだ。

「事」が起きた後はさらに、睡眠中の悪夢から抜け出した起き抜けからも。とにかくずっとだ。

なぜこの歌なのかはわからない。

しかし、この歌とともに流れるのは古びたエレクトーンの音色であったこと、この歌に合わせて習ったであろうお遊戯(ゆうぎ)を今でも覚えていること、そして当時のわたしにとって安心安全で優しい穏やかな時間を過ごせる唯一の場所だったことを考慮すると、おそらくは幼稚園か小学校の音楽の時間に担任の先生が弾いてくれた伴奏に合わせて、クラスのみんなで合唱していた記憶に繋がっているのかもしれない。

後にわたしは、一時的に声を失う日が来るのだが、他者との一体感を感じた「お歌の時間」だけは間違いなく、世界はわたしに味方してくれているのだと感じることができたのだ。

だからこそ、「お歌の時間」の『大きな栗の木の下で』は、小学二年生の狭い世界の中での唯一の逃げ場であり特別になったのだと思う。