母にとって、人生最後の桜でした。大体あと半年ほどの余命と伝えられていました。母は肺炎で倒れてから、10ヵ月ほど生きました。

全身がチューブにつながれて、抑制帯もつけられた母に、私が触れることはできませんでしたし、自ら言葉を発することもありませんでした。家族はこの段階で、選択が正しかったのかどうか迷い、この状態がいつまで続くのかと焦り苦しむのです。

お金が成る木を持っている人なんてどこにもいません。

胃ろうで意識のないまま、心臓は動いているからと5年間も見守るしかない家族の話を聞きました。心中を察するに、あまりあります。私はこの方法がベストだったと信じました。

「きっと最善の最期を迎えてくれるだろう。ただもう一度、元気な顔が見たい」

その一心でした。私の微かな希望は叶いませんでした。

母は発熱したり、排泄ができなくなって黄疸が出たり、20年前から患っていたベーチェット病の影響でしょう、身体中に内出血の痕ができていました。それは大変に痛々しいものでした。半年近くなにも食べていない体は、20kgあまりに体重が減っていました。本当に骨と皮だけになっていました。

点滴投与だけで生きさせられている、母が日に日に弱っていくのを目の当たりにして、楽にさせてあげる術をなに一つ持たない自分を母に対して申しわけなく思いました。2016年10月、その日は突然にきました。

何年も前から、私の存在さえも忘れていた母が、別れ際に「また来るからね」といった私の声に反応して、眼を開け、チューブにつながっている手を上げました。表情はうかがえませんでした。

それが母から私への最後の挨拶だったのかもしれません。

それから1ヵ月経たぬうちに、母の危篤の報せが入り、私が駆けつけたときには「ご臨終です」といわれました。私との約束で、この病院では生命維持装置は使いませんでした。

父の葬儀から5ヵ月あまりで、再び喪主を務めることになってしまいました。このときも涙は一滴も出ませんでした。

<松谷 美善『不完全な親子』(幻冬舎メディアコンサルティング)より抜粋>

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