この横山食堂は、千津の二歳年上の民子の家で、町では珍しくキリスト教を信仰しており、千津も彼女に誘われ、近所の子供たちと教会に行ったことがあった。日曜学校の牧師の説教は難しく、彼女の心には響かなかったが、「いつくしみ深き」や「主よみもとに近づかん」などの賛美歌、クリスマス会などは、千津の日常の世界と異質で、興味を持った。
色白の若い男の牧師は、この街にキリスト教を広めようと熱心に活動し、子供たちにも屋根の先端に十字架がのった、新しくできる教会の図面を見せてくれた。
そんなある日、教会に出入りするようになった男が、建築資金を詐取して逃亡するという事件が起きた。
犯人の男は捕まったが、若い牧師は責任を取る形で、他へと転勤させられた。これは、千津が世の中には悪いことをする人がいるということを知った、初めての出来事だった。
この事件は「牧師さん、騙される」と新聞に報道され、つねは、
「この牧師は一つのことに目が行って、周りを見ていなかったんだな。人は捨て目をきかせていなければなんねい(ならない)だよ」と言った。
捨て目を使えとは、周りの状況を把握せよという意味の、彼女がそれまでの経験から得た人生訓であった。
つね自身は毎朝仏壇に向かい、「南無大師遍照金剛」を唱えることを日課にしていた。
その後、キリスト教信者だった民子の店は、家々にテレビが普及していくに伴い客足が途絶えていき、店を閉めて町から出て行った。
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