時間は確かに働いた。ゆっくりと、静かに、私を立ち上がらせた。悲しみや苦しみから立ち直るには時間がかかったが、なんとか、自分の足で歩けるようになった。

そのあと、感傷を癒すために、何度かイタリアを訪れた。ミラノの街を歩き、フィレンツェの空を仰ぎ、ローマの石畳に足を置いた。そのたびに、芸術が私を救った。

多くの人に救いの手を差し伸べてきたペトロにちなんだ救済のシンボル。ガリラヤの湖畔の漁師ペテロになったごとく、私は誓った。「自分が救済者にならなければならない」その思いが、私を教員への道へと導いた。

私は精神的な転向をして美術史の教員になった。しかし、本音を言えば、過去の留学失敗の記憶は、精神棒のように心に突き刺さっている。

それでも、めげることなく私は歩き続けた。なぜなら、失敗は色彩を与えるからだ。楽しかった日々は明るい色彩に満ち、暗かった時期は当然、色彩も沈んでいた。人生は、色彩の連なりだからだ。

だが、未だに私はその色彩を完全に言葉にすることはできない。力のない言葉は、色彩の 深みを救いきれないからである。

色彩は言葉、デザインは概念…… 。人生のデザインは、あくまで概念的なものである。

私なりの設計図を描こうとしたこともある。若い頃、未来を計画し、目標を立て、線を引いた。けれども、その通りに人生が進むことはなかった。

むしろ、予期せぬ線が交差し、思いがけない色が滲み出した。それが人生という絵画であり、彩りであり、人生行路である。計画は、現実の前で脆く崩れた。だが、その崩れ方にこそ、美が宿ることを、私は学んだ。

色彩は語る。赤は情熱を、青は静寂を、白は祈りを。絵画の中で色彩は、言葉よりも雄弁である。構図は概念。秩序を生み、意味を織り込み、見えない思想を形にする。

そして、色彩は祈りとなる。祈りは声を持たないが、色彩はその声を代弁する。私自身の最期の晩餐をいかに美しく彩るか、私はそのことを深く思案した。

自分の人生を振り返る。昔日の、楽しかった日々は明るい色彩に満ちていた。子どもたちの笑顔、友人との語らい、旅先で見た夕陽―― それらは鮮やかなオレンジや柔らかな金色を帯びている。

逆に、人生の暗雲の時代は当然、色彩も沈んでいた。喪失の影、孤独の冷気、裏切りの痛み―― それらは灰色や濁った青に染まっている。色彩の連なり、それが人生である。だが、今もって、その色彩を完全に言葉にすることはできない。(いや、言語化しないほうが大人の知恵かもしれない)。

ニーチェは言った。「汝の運命を愛せよ」(『悦ばしき知識』)。それはアモール・ファティ ―― 運命を愛するという思想だった。

ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に集う者たちも、裏切りと救済の狭間で、見えないものを信じるしかなかった。見えないものは、未来に潜む光だ。過去の因果に沈むとき、希望は遠ざかる。

希望は、まだ形を持たぬ目的を探し、暗闇に灯火を掲げる勇気の中にあった。目的は与えられるものではなく、創り出すもの。

だから、私は、見えないものを見ようとする眼差しを失わず、未来へと歩み続ける。そこにこそ、人生が力強く輝き始める瞬間があるからだ。

今年のはじめ、イタリアの一人旅で学んだことは、人生の奥深さだった。ダ・ヴィンチの絵は、単なる宗教画ではなかった。楽しかったことも、辛かったことも、すべてが一枚の絵のように並んでいる。

若い頃には見えなかったものが、今は見える。見えることの重みを、私は知った。今、見えなくとも、必ず、いつか見える日が訪れる。芸術という人生の鏡は、自分の人生の反射光である。人生というステージが仮にあるとすれば、そこに映るのは、私自身の影と光だけである。

さて、人生の最期には、何が見えるのだろう。

その問いに答えはない。ただ、問い続けることが、――夢を見続けることが―― 生きるということなのだから。

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

👉『いま見えないものが見えるはず』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】お風呂上りに優しく体を拭いてくれた彼。下着はいいよと言われて、素肌にバスローブを。大きなベッドにエスコートされ…

【注目記事】少し体を離すと、近い距離で視線が絡んだ。すると彼は触れるだけのやさしい口づけをした。ゆっくりと唇が重なり、2人は手を繋いで……