【前回の記事を読む】「私は私のやり方でやる」恩師の助言を拒み続けた結果、イタリア留学に失敗。その直後、父と母が死んだ。恋人にも癌が見つかり……

いま見えないものが見えるはず

死は、沈黙の教師であった。言葉を奪い、時間を止め、人間の、いや、自分の存在の意味を問いかける。私はその問いに答えられず、ただ茫然と立ち尽くした。

虚無の中で、何かが崩れ、何かが芽生えた。最後の晩餐に描かれた救済のシンボルや澄んだ色彩の世界、いと高 き天空に思いを馳せた時、はじめて見えないものが見えてくる。芸術は、その扉を開く鍵だ った。

ダ・ヴィンチの作品の前で、私は過去の別れ、死、人生の敗北など、白黒映画を見るように、自分の試練を客観視して見ることができた。そうせざるを得なかった。

心の中にあったのは、単なる絵画ではなかった。もちろん走馬灯のような映画ではなかった。人間の弱さと神性の絶対性が交錯する人生模様であり、最後の晩餐のように、裏切りと愛が同じ食卓に並ぶ瞬間であった。

遠近法の消失点に置かれたイエスの沈黙は、私に語りかけた。「見えないものを見よ」と。今、私はその消失点―― 、否、交差点と言っておこう― ― に立っている。

光は言葉となり、構図は概念となり、色彩は祈りとなる。アルベルト・ロッカ館長の言葉が、ここで生きる。「色彩は言葉、デザインは概念」。その意味を、私はようやく理解した。