窓の外では、月が輝いていた。私は窓辺に立ち、月を見上げた。
母が好きだった、満月の夜。「お月様がきれいね」と、よく言っていた。
「お母さん、月がきれいだよ」
私は呟いた。
「お母さんも、見てる?」
風が吹いて、カーテンが揺れた。まるで、母が答えてくれているようだった。
私の部屋には、母との写真がたくさん飾られている。
北海道旅行の写真、庭で撮った写真、日常の何気ない写真。どの写真にも、母の笑顔が写っている。
「お母さん、私ね、幸せだよ」
写真に向かって、私は話しかけた。
「お母さんがいなくて寂しいけど、でも、幸せ。お母さんとの思い出が、私を支えてくれてるから。そして、お母さんの人生を語ることで、誰かの役に立てているから」
写真の中の母は、微笑んでいた。
「ありがとう、お母さん。私を産んでくれて、育ててくれて、愛してくれて。本当に、ありがとう」
今日も、私は生きている。
母の記憶を胸に、母の愛情に支えられて。
認知症は、記憶を奪っていく病気だ。でも、それは決してすべてを奪い去るものではない。心に残る温かい言葉、何気ないしぐさ、笑顔、家族との時間。そうした「記憶」は、本人が忘れてしまっても、見ていた私たちが覚えている限り、失われることはない。
母は私の記憶の中で生きている。私が母を覚えている限り、母を語り続ける限り、母は存在し続ける。
そして、いつか私も、この世を去る日が来るだろう。でも、私が母のことを語った言葉は、誰かの心に残る。母の人生を綴った本は、誰かの手に渡る。そうやって、母の記憶は受け継がれていく。
それが、「記憶のなかで生きる」ということなのだと思う。
今日も朝が来た。
私は仏壇に手を合わせ、母に挨拶をする。
「おはよう、お母さん。今日も一日、頑張るね」
そして、庭に出て、花に水をやる。母が植えた花たちが、今日も美しく咲いている。
「お母さん、今日もいい天気だよ」
風が吹いて、花が揺れる。母が微笑んでいるようだ。
私はスマートフォンを取り出し、花の写真を撮った。そして、心の中で母にメッセージを送る。
「今日はお花がきれいだったよ」
母がかつて私に送ってくれたメッセージと同じ言葉。今度は、私が母に送る番だ。空を見上げると、青い空に白い雲が浮かんでいた。母が好きだった、広い空。
「お母さん、見ててね。私、今日も笑顔で過ごすから」
私は微笑んで、一日を始めた。
母の記憶を胸に、今日も、明日も、これからも。記憶のなかで、母は生き続けている。
そして、私もまた、誰かの記憶のなかで、生き続けていくのだろう。それが、人が人として生きるということなのかもしれない。
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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