七世紀、北西アジアで長大な国家(イル)を築いていた西突厥の王(元ペルシア王子)は隋との戦いで大敗、大部族(ペドウン)を率いて東アジアへ逃亡する。

同盟国だった高句麗の王に妃を託し、百済へ進出。腹心の武王を百済王にして、和国へ渡り上宮法王(聖徳太子)となる。

上宮法王は、隋の煬帝に国書を送り講和する。中国の隋が唐に滅ぼされると、高句麗では親唐派と反唐派で対立が起き、反唐派のウィジャ王子が和国へ亡命してくる。

上宮法王は後継者にウィジャを指名して亡くなるが、後ろ盾を無くしたウィジャは蘇我氏の圧力を躱(かわ)し、上宮法王の娘・宝皇女(後の斉明天皇)と共に、百済へ逃げた。

宝皇女は百済武王の正妃となり、キョギ王子を生む(後の天智天皇)。

和国では蘇我氏の専横が始まり、和国に残っていた上宮法王の王族達は全て蘇我氏に廃されてしまった。

唐は東アジアを臣従させ、高句麗・百済・新羅は親唐派の傀儡の王になり和国の蘇我政権も親唐となった。百済・高句麗では反唐政権のクーデターが勃発し、反唐派のウィジャ王子が百済ウィジャ王になった。

六四五年ウィジャ王ら百済・高句麗・和国の三国の反唐派により和国の親唐派の蘇我蝦夷・入鹿親子が倒された。

百済のウィジャ王は和国の孝徳天皇に即位し百済・和国両国の王になった。(大化の改新)

和国の孝徳天皇となったウィジャ王は、元々の和王である上宮法王の血を引く皇女を正妃とした。

高句麗のヨン・ゲソムンは、和国でキョギ王子の異母妹を娶って義兄弟になり、大海人皇子と名乗る。

高句麗・百済・和国三国は反唐派で固められた。ウィジャ王は大化の改新後、百済に戻ったがキョギ王子とヨン・ゲソムンこと大海人皇子らは、母・宝皇妃を和国斉明天皇に擁立した。

この時を最後に、約二百年続いていた百済・和国二カ国の王という王位継承は廃絶された。

 

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