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第Ⅱ章 アジア世界の亡命地 日イズル国

アジア世界の果て、亡命地だった日イズル国

古代アジア世界の渡来ルートには、北アジアに広がる草原地帯(ステップロード)を抜けてアジア東岸から日本海を渡り日本列島に至る北ルートと、南アジアから、海のシルクロードの季節風・黒潮に乗って南西諸島を通過して日本列島に至る南ルートがある。

草原地帯(ステップロード)を抜ける北ルートは勇猛な遊牧民族が支配するエリアだが、遊牧民は土地に縛られることなく常に移動していた為、強力な城壁や城塞が道々築かれていたという事はなく、距離を除けば比較的移動は可能であった。

アジア東端の高句麗は逃げてきた部族達とは万度戦わず、自国に有利なら取り込み、或いは味方となり朝鮮半島や日本列島へ送り出していき、次々と新しい部族が流入してくる日本列島や朝鮮半島は一枚岩に固まる事がなかった。

弥生時代は朝鮮半島が中国の勢力下になった事で半島から亡命してくる王族が多く、魏志倭人伝にも三世紀頃の和国は百余国の大乱と記されているとおり、日本に統一された大王朝はなかったが、

支配階級の南下に従い、朝鮮半島は百済、新羅と王朝建国ラッシュが続き、日本列島もその影響を受け、次々と渡来してきた強者どもが日本を統一していった。

そして六世紀頃からは、西アジアのとんでもない大物の渡来が続く時代に突入する。特に六世紀の継体天皇は、巷説のみならずアカデミズムからも「別の王朝では?」との声が出るほど極めて特殊な存在で、後述する五世紀~六世紀で詳しく綴る。