日イズル国の天子と金印の謎 

古代日本は中国から二回も金印を授かっている。福岡県の志賀島で発見された「漢委奴国」の金印と魏志倭人伝に記される和国の女王ヒミコへの金印だ。

通常、朝鮮半島や東アジアの国々の諸侯には銀印か銅印しか贈らない。高句麗や百済・新羅でもなく、何故に辺境の島国に王侯以上にしか許されない「金印」をわざわざ送ったのか?

単純に「日本凄い!」と考えたいところだが「日本がそれだけ認められていた国だから」では根拠が無い。日本の何がそんなに凄かったのだろうと、疑問に思う方もいるはずだ。

「福岡の志賀島の大王は中国に侵攻し、圧勝したので中国は侮ることができなかった」など、せめて古事記・日本書紀に強大国日本のエピソードが残されているならまだ納得するが、金印を拝受した王の名前すら出てこないのだ。ましてや金印を拝受した王は日本を統一している大国の王でもなく、九州の中の一カ国の王でしか無い。

「金印」を贈るのは、東西南北で一カ国ずつ程度で、下手に弱小国に贈れば中国の威信を損なうだけでなく、トラブルの種になる。日本に贈るには相当の理由があったのだ。

ヒミコも志賀島の王も、中国が「金印」を贈るに値する大人物で、周辺国もそれを知っていたからに他ならない。そして、それが日本の歴史の中に唐突に登場するのは亡命者だからだ。

中国を統一した隋の皇帝に「日イズル処の天子から、日沈む処の天子へ」と、国書を送った聖徳太子もそうだ。中国皇帝に対等なもの言いをしてきた和国に対し、中国皇帝の煬帝は「使者を殺せ」と怒ったが、高句麗との戦を控え和国の助けが必要だった為に機嫌をとって許した事になっているのだ。本当にそうなのだろうか?