前日

若い男が一人、夕暮れの体育館の真ん中に佇んでいた。

時刻は午後六時を過ぎた。まだ夕陽は沈んでおらず、この季節特有の紅緋色(べにひいろ)がかった陽光が体育館の真ん中まで差し込んでいた。

入学式を翌日に控え、ようやくその会場設定の準備がひと段落したが、男の表情は浮かないままだった。

(明日からどうしようか?)

いつも以上に頬がこけたように見える地黒の顔からも、焦慮が窺える。

この藤井彬(ふじいあきら)が勤務している専門学校は、四十年前の昭和三十九年に、文部省(現・文部科学省)の指定する幼稚園教諭養成機関の認可を得て、保育科を設置して開校。

その後、厚生省(現・厚生労働省)から保母(現・保育士)養成校の指定を受け、昭和五十五年に岩手県北上(きたかみ)市の山沿いにある、鬼柳町(おにやなぎちょう)の卯(う)の木(き)と呼ばれる小高い丘の上に移転した。

やがて平成に元号が変わり、高齢化社会の到来という時流の中、厚生労働省から介護福祉士養成施設としての指定を得て福祉介護科を設置、今の二学科体制になった。

その後もずっとこの地で学校を運営していたが、校長を務める野間悦郎(のまえつろう)からの伝達によると、少子化の影響による統廃合で廃校になった県立高校の校舎を改築し、二年後に市街地に移転することが先日の理事会によって決定されたらしい。

当の彬は、仙台市にある福祉系の大学からそのまま大学院に進学した後、指導教官の奨めでこの専門学校に専任講師として赴任してきて、まだ一年しか経っていない。

そんな中で、先日、校長の野間と二人きりの時に内密に福祉介護科一年の担任を務めるようにと訓令を受けていたのである。