【前回の記事を読む】会社に対して、増えていく不満…苛立ちを抑えられず、一度だけ言ってはいけないことを…翌日、上司は会社を辞めた。
第一章 カリスマの降臨
〈8〉
この市ヶ谷支店は極めて業績が悪く、いつ統廃合されてもおかしくない瀬戸際にいたこと。田下は支店を守るために、膨大な仕事を1人で抱え、寝る間も惜しんで働いていたこと。
本当は毎日家に帰りたかったのに、その余裕すらなかったこと。派遣スタッフとの関係を良好に保つために、彼らの宿泊や、犬の飼育まで認めていたこと。ストレスで体調も悪く、いつ倒れてもおかしくなかったこと――。
(……そんなこと、何も知らなかった)
罪悪感が桐谷の心を締めつけた。目の前の“異常さ”ばかりに気を取られ、その裏にある田下の葛藤や孤独を想像すらしなかったからだ。
田下は、切羽詰まった状態で、ギリギリまで頑張って、それでいて突然部下にキレられて、万事休す。緊張の糸がプツッと切れたに違いない。
田下が飛んだ翌週、すぐに新しい支店長がやってきた。そして、またいつもの日々が始まった。都内の高層ビルにあるナイスホープ本社――。
「おい、佐口。市ヶ谷支店で支店長にブチギレた新卒がいるんだって?」
本部長の北井毅が、部長の佐口則安(さぐちのりやす)に声をかけた。
「はい。桐谷悟という新卒です」
「新卒の分際で、成果も出してねぇのにいい根性してんな」
細い目をさらに細めて、北井が睨んだ。
「地方に飛ばしますか?」
佐口が確認する。
「……いや。一回、本社に呼べ。俺が話す」
〈9〉
翌日、桐谷は六本木にある本社に呼び出された。
(なんで僕が本社に……しかも、事業本部の本部長から直々に呼び出されるなんて怖すぎる。支店でキレた件か……)
心臓がバクバク跳ねている。桐谷は不安を押し殺しながら、本社の会議室でじっと待っていた。
数分後、「ガチャ!!」と荒い音と共に会議室のドアが開く。
180センチはあろうか、細身のスーツを着た男が入ってきた。
「お、お、お疲れさまです!!」
桐谷はすぐに立って挨拶した。
(この男が、事業本部長の北井毅……)
北井は無言で桐谷の目の前にドカっと座り、物色するかのように桐谷をジロリと覗き込んだ。
やがて、北井が口を開いた。
「お前……なんでナイスに入ったんだ?」
「え、あ、はい……自分を、変えるためです……」
「どう変わりたいんだ?」
「えっと……もっと自分の殻を破ってと言いますか、営業で断られても前に進めるような強いメンタリティと言いますか……」北井の目が鋭くなった。
「そのために、お前はいま何をしているんだ?」
「そのために? ええっと、いまは仕事を覚えることに集中して、事務作業を……」
その瞬間、北井の眉間に深いしわがよった。
「2か月もすれば他の新卒は一人でガンガン営業してんだぞ! お前は一体何をやっているんだ!」
「あ、あ、はい……。まだ営業は教えてもらっていなくて……」
桐谷の他責にするような発言が北井の起爆スイッチを押した。