一瞬、意味がわからなかったが、馬木はすでに立ち上がり、カーペットが敷き詰められている登録説明会のスペースで四股(しこ)を踏み始めている。
「暇なんだよ。いいじゃん、ちょっとくらい」
「いや、僕、まだ仕事中なんで……」
「はぁ!?」
馬木がすごい剣幕で桐谷に迫った。
(ヤバい……断ったらあとが怖い……)
馬木は桐谷よりも10歳以上年上。22歳の桐谷には断る勇気はなかった。断ったら何をされるかわからない。
「わかりました……」
桐谷はスーツの上着を脱いだ。
一応、桐谷はこの会社の社員である。派遣スタッフはその会社から派遣される立場である。その社員に向かって「相撲しようぜ」なんていうシーンは普通ありえないが、ナイスホープではありえるらしい。
馬木は、派遣先で毎日力仕事をしており、筋骨隆々。それに比べて、桐谷の体はゴボウのようにヒョロイ。
いざ取り組みが始まった。
「はっけよいのこった!」
桐谷は2秒でぶん投げられた。
「お前さ、革靴なんて履いているから弱いんじゃね?」
「……脱ぎます」
桐谷は革靴と靴下を脱ぎ、もう一番取った。
2回戦目。今度は5秒でぶん投げられた。床に叩きつけられた衝撃で、桐谷はしばらく動けなかった。
「おい、大丈夫か?」
馬木が覗き込む。桐谷はぬくっと立ち上がった。そしてお尻のホコリを払い、
「もういっちょ、いいっすか?」
意味もわからず2回もぶん投げられたせいか、変なスイッチが入った。
「お前も意外と根性あるね~」
馬木はニタニタしながら、桐谷の挑戦を受けた。
それから十番取り組みが行われた。桐谷は10戦10敗、肘は擦りむき、シャツには血が滲んだ。
「お前も、結構しぶてーな……」
最後は若干押され気味だった馬木が、汗を拭きながらボソっと呟いた。
(こんなに闘争心を燃やしたのは初めてだ……)
桐谷自身が一番驚いた。
幼い頃から、人目を気にして、言いたいことも言えず、失敗を極端に恐れる。そんな自分を変えたくてナイスホープに入社した。
だからだろうか。相手が誰であろうと、どんな件であろうと、“絶対に負けたくない”という小さな闘魂が芽生え始めていたのかもしれない。
次回更新は3月31日(火)、8時の予定です。
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