麦ごはん

今から四〇年ほど前のことでした。

左足の膝から下を失った、お婆さんと出会いました。お婆さんは飲み屋を営んでいたのですが、食材の買い出し先で、自動車に轢かれ左下肢を切断したのでした。

やむなく店をたたみ、農家の納屋を借り、一人で住んでいました。そこは、畳の部屋に、茶箱と一組の布団が積まれ、壁には三味線が立てかけてありました。土間の竈で、麦ごはんを炊いていました。

毎日、麦ごはんにソースをかけただけの食事でした。

ヘルパーさんは、お婆さんのために、週一回ソースを三合瓶で買ってきました。また、近くの雑木林から薪を集めてくるのも仕事でした。

ある時、お婆さんはお金に困ったようで、ヘルパーさんに、自分の代わりにお金の取り立てをしてくれるよう頼みました。何人かにお金を貸していることが分かりました。

ケースワーカーの槐は、四〇歳も年長者のお婆さんに「ここの家は、冬はとても寒いでしょう、暖かく過ごせる場所を考えましょうね」と進言しました。でもお婆さんは、「毎日麦ごはん炊いて、三味線を弾いていたら、一日なんて過ぎてしまう。一人で暮らせなくなったら、老人ホームに連れて行ってくれ」と、自分で決めていました。

いよいよ、お婆さんは麦ごはんを炊くのが面倒になり、山の手の老人ホームで暮らすことになりました。

ホームに入る日のことでした。お婆さんは、納屋の板壁を槐に一枚剥がさせました。すると、中から千円札が幾束も出てきたのでした。その札束と、大切な三味線も荷物に加え、車で住まいを後にしました。

それにしても「赤貧洗うが如し」のお婆さんが、実は大金持ちであったということでした。一九八〇年頃の日本に、こんな〝お伽噺〟があったのでした。