【前回の記事を読む】「もう会いたくない」息子に言われた言葉――離婚した妻と子に会いに行くと、教えられた住所には住んでおらず…
第2章
トントントン
槐は、優しくしっかり者のカンナさんの心合いを思いながら、病室の付き添い用のベッドに腰かけました。槐は、出産に立ち会うのは初めてでした。シーンと静まりかえった室内は、張りつめた重い空気に包まれました。「カンナさん、看護師さんに伝えたいことありますか」と、槐は何度か声をかけ、二時間ほどが過ぎました。
カンナさんの夫のアオイさんが、知人のイブキさんを伴って病室に到着しました。二人共車いすでした。イブキさんは二人の子持ちの父親で、アオイさんの良き相談相手のようでした。
間もなく、医師がアオイさんに「帝王切開での出産」を告げました。カンナさんは夫が握っていた手を離し、手術室に入っていきました。扉が開くと、手術室の奥から微(かす)かな風が流れて来ました。
待合室では、話好きのイブキさんに緊張を和らげてもらいました。アオイさんもなかなかの論客で「障害者が健常者と、同じスタートラインに立てるようになるべきだ」と盛んに話をされていました。
やがて看護師さんが「おめでとうございます、男の子です。奥様も大丈夫です」と伝えてくれると、いつも優しいアオイさんの目が、ひときわ輝きました。まるで青空を見つめているような目でした。
カンナさんは間もなく退院し、三人家族の暮らしが始まりました。手の使えないカンナさんは、足の親指と人差し指の間に包丁の柄をつかみ、まな板の野菜等を上手に調理しました。
「トントントントン」と響く音。
心和む空気が、家中を包んでいました。
貴重な体験をさせてもらいました。話し好きのイブキさんと論客のアオイさんに逆に助けられ、緊張がほぐされました。槐は現場で鍛えられたのでした。